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日本人の手による自動車生産
車名に※印の記載がある車両は、現在展示していません。
後発であった日本の自動車工業にとって、戦争によるブランクは大きかった。そのブランクを埋めるべく、わが国の各メーカーも海外との提携を進め自動車技術を導入する。このノウハウが自動車工業の近代化に果たした役割は多大であった。
トヨタ初の生産型乗用車
トヨタの初期の生産車
日産の初期の生産車
試作の続行
戦前の技術の応用
海外の自動車技術の導入
本格的国産車の完成
サイクルカーから軽自動車へ
戦前はウーズレーと提携していたことでもわかるように、いすゞ自動車は古くから海外の技術やセンスをうまく取り入れたパイオニアであった。そして戦後、そのパートナーにイギリスのルーツグループを選んだいすゞは1953年からヒルマンミンクスの生産に入ることになる。まだ黒っぽい自動車が多かったわが国でモデルチェンジした車両は、2トーンに塗り分けられ、自動車工業へ新風を吹き込んだのである。
日産自動車も英国のオースチン社と技術提携し、1953年4月からA40サマーセットの国内生産をはじめ、1955年に新型のA50ケンブリッジに切り替えられた。当時の国産自動車では比較にならないほど快適な乗り心地と優れた走行性を備え、人気も高かったが、なにより提携で得た海外の先進技術を自社のものとして、その後、次々と新しいモデルを送り出したことは高く評価できる。
現在はトラックやバスなど重量車両の生産で知られる日野自動車がフランスのルノー公団と技術提携を行ない1953年からルノー4CVの生産を開始。愛矯のあるスタイルやRR駆動の優れた操縦性、コンパクトなサイズからタクシーにも多く採用された。さらにこの国産化によって得た技術は独自の設計でコンテッサ900(1961年発表)や1300(1964年発表)を生み出す結果となり、わが国のモータリゼーションに大きな役割を果たした。
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