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その名のとおりの超軽量車で「最も経済的なクルマを」という設計者、富谷龍一氏の思想を具体化して住江製作所が1954年に発表。きわめて合理的なスタイリングや必要最少限のメカニズムを持ち、機能的なトランスポーターとして、野心作ではあったが、残念ながら1955年に200台足らずつくられたのみに終わった。おそらく、徹底した合理主義が、当時の人々にはまだ理解されなかったのであろう。 |
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フライングフェザーと同じ設計者により、富士自動車(当時、日産自動車系のエンジンメーカー)は当時としては画期的なFRPのフルモノコック構造の3輪キャビンスクーターを送り出した。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130kgで最高速度は時速60km。限られたスペースを生かした室内や空力的なボディデザインなど革命的な試みではあったが、FRPの製作技術がこれに伴わず、わずか85台製作されただけであった。 |
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戦後しばらくの間も、自動車が公共的な乗り物であったわが国で、本来の大衆化は商業車から始まったといってもよい。そして、それを決定づけたのが1957年に発売した3輪車ミゼットといえるだろう。安価かつ扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こし、3輪車の代名詞にまでなったのである。初代のDKA型はキック式スターターやバーハンドルなどオートバイに近いが、いたるところにコストダウンや合理化の努力がみられる。 |
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愛知機械工業は、1961年、軽自動車よりさらに小型の100kg積超軽量小型トラック、コニーグッピーを発売した。22,5万円という低価格に加えて、4輪独立懸架やトルクコンバータ装着によるノークラッチなどが注目されたが、1年少々で生産は中止され、生産台数は5千台弱に留まった。この車両は、販売店の愛知ヂャイアント(株)がオープンボディに改装したもの。 |
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