プロフィール

ウィーン国立歌劇場
イタリア・ルネサンス様式の壮麗な建物で、パリ、ミラノと並ぶ「3大オペラ座」の一つとして知られている世界最高峰のオペラ座。時の皇帝フランツ・ヨーゼフI世時代、都市改造の一環として1869年に完成した。こけら落としの演目はモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」。ドイツ・オーストリアの華々しいオペラ文化は、この歌劇場の誕生から始まったと言っても過言ではない。完成当初は「宮廷オペラ座」と呼ばれており、1918年には現在の名前に改名されている。ヨーロッパ屈指の歌劇場としての地位を獲得したのは、大作曲家であり指揮者としても抜群のセンスを発揮したグスタフ・マーラーが総監督を務めた時代。以後、ワインガルトナー、シャルク、リヒャルト・シュトラウス、フルトヴェングラー、ワルターなどの不朽の大指揮者が活躍して黄金時代を迎えるが、第二次世界大戦のため、44年に一時閉鎖。翌45年には連合軍の空襲によって炎上し壊滅的な打撃を被った。その後55年11月、ベーム指揮:ベートーヴェンの「フィデリオ」によって再開。建物は当時のまま復元された。その後はカラヤン、マゼール、アバドといった名指揮者がこの歌劇場をもりたて、今日に至る。6階まである客席は2280席、オーケストラ・ボックスは120人収容という豪華さ。音響設備は世界最高といわれ、歌劇場専属のオーケストラはウィーン・フィルのメンバーを中心に構成されている。
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イォアン・ホーレンダー氏(トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン 名誉監督)
1935年ティミゾアラ(ルーマニア)に生まれる。
高校卒業後、技術専門学校にて蒸気機械の機械技術を修学。59年オーストリアに居を移してウィーンの音楽学校で声楽の勉強を始め、62年に卒業試験合格。卒業後はクラーゲンフルト市立劇場をはじめ、バリトン歌手として活躍。66年劇場エイジェント・スタルカに就職。その後エイジェントの代表者に就任したことが、世間に名を轟かせるきっかけとなった。88年ヴェヒターの希望により、ウィーン国立歌劇場、フォルクスオペラのジェネラル・セクレタリーに就任。92年急死したエバハルト・ヴェヒターの後継者として、両劇場の総監督に任命された。またウィーン大学の演劇、映画、メディア学研究における常勤講師を兼任している。
これまでに授かった栄誉は数限りない。ClujのGheorghe Dama音楽学校の名誉ドクター、ウィーン州政府・金勲章、ウィーン地方・金名誉勲章、オーストリア共和国・金名誉勲章、学問と芸術における第1級のオーストリア名誉勲章、ウィーン学友協会、ウィーン国立歌劇場合唱団のクレメンス・クラウス・メダル、99年にはフランス共和国より、フランス文化に対する貢献で“Officier de L'Ordre des Arts et des Lettres”の称号を授与された。またウィーン国立歌劇場とフォルクスオペラの名誉会員であり、故郷のティミゾアラ市の名誉市民でもある。2001年9月ジョージ・エネスク・フェスティヴァルでは、ルーマニア大統領ロン・イリエスクよりルーマニア最高の勲章“Stern am Bande”を受賞。
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ペーター・シュミードル教授(トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン 芸術監督)
オルミュッツ(オーストリア)に生まれる。祖父、父、本人と3代にわたってウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者を務めている。ウィーン国立音楽大学でルドルフ・イェッテルに師事し、
1964年卒業、65年にウィーン国立歌劇場管弦楽団、68年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に第1クラリネット奏者として入団、82年より第1首席奏者となる。67年よりウィーン国立音楽大学の教授として、数多くの門下生を指導し、今でもその生徒たちが世界各地のオーケストラで活躍している。ソリストとして、これまでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、NHK交響楽団などと共演、指揮者のベーム、バーンスタイン、プレヴィン、レヴァイン、ムーティ、小澤征爾などと共演。その他、室内楽の分野においても活躍しており、新ウィーン八重奏団、ウィーン木管ゾリステンのメンバーとして、世界各地への演奏旅行やCDレコーディングなどを実施している。84年ザルツブルク功労金勲章を受賞、91年オーストリア芸術名誉十字勲章を受賞。バーンスタインの指揮で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と協演したモーツァルト作曲クラリネット協奏曲のCD(ライブ・レコーディング)は91年度日本管楽器部門のベスト盤に選ばれる。音楽教育家としても名高く、ヨーロッパだけでなく、日本においても数多くのマスタークラス(草津夏期国際音楽アカデミー、パシフィック・ミュージック・フェスティバル−PMFなど)を開催し、後進の指導に貢献している。
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佐渡 裕(指揮)
京都市立芸術大学を卒業後、1987年のタングルウッド音楽祭(アメリカ)に参加。その後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾に師事。89年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン指揮者コンクール(フランス)で優勝し、国際的な注目を集める。95年「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」で優勝。
現在、パリのコンセール・ラムルー管弦楽団首席指揮者、ジュゼッペ・ヴェルディ・ミラノ交響楽団首席客演指揮者、フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団第一客演指揮者を務める。またパリ管弦楽団定期演奏会を毎年指揮する他、フランス国立管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、RAIトリノ・イタリア放送交響楽団、ハンブルグ交響楽団、バンベルク交響楽団、バイエルン放送交響楽団など、ヨーロッパの一流オーケストラと共演を多数重ねている。
99年6月にナント歌劇場でモーツァルト作曲「フィガロの結婚」を指揮し、待望のオペラデビューを飾る。2002年5月にはモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」、03年2月にはプッチーニ「蝶々夫人」、同年10月にはワーグナー「ローエングリン」をボルドー歌劇場で指揮、それぞれ大成功を収めた。また03年7月にはフランスの「エクサンプロヴァンス音楽祭」にて、パリ管弦楽団と共にヴェルディ「椿姫」上演を果たしている。
国内では、恩師レナード・バーンスタインの遺志を継ぎ、子供たちのためのオリジナルコンサート「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」を99年以降毎年制作、指揮している。札幌の「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」(PMF)では、レジデント・コンダクター(92〜97年)をつとめ、その後もゲストコンダクターとして、たびたび若手音楽家の育成にあたっている。
録音活動も活発で、師バーンスタインのミュージカルナンバーを手兵ラムルー管と録音した11枚目の新作CD「VIVA!バーンスタイン」が03年7月にワーナークラシックよりリリース。著書に「僕はいかにして指揮者になったのか」(新潮社OH文庫)がある。02年4月より兵庫県芸術文化協会芸術監督(音楽)に就任。02年8月よりシエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者も務める。
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トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席クラリネット奏者、ペーター・シュミードル教授の協力のもと、本公演のために特別に編成された世界最高水準の室内オーケストラ。世界トップレベルの知名度・演奏水準を誇るウィーン国立歌劇場、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とその仲間たち31名で、編成されている。
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名古屋フィルハーモニー交響楽団

1966年結成、73年に財団法人となる。88年にヨーロッパ・ツアー、2000年にアジア・ツアーを行い好評を博す。97年サントリーホールでのライブCDが高く評価され、文化庁芸術作品賞(レコード部門)受賞。98年より音楽総監督に小林研一郎氏を、2003年より常任指揮者に沼尻竜典氏を迎える。トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーンと合同で全国ツアーを行うのは、2000年・02年に引き続いて今回が3回目であり、同楽団と深い交友関係を築いている。
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シュテパン・トゥルノフスキー(ファゴット)
1959年プラハ(チェコ共和国)に生まれる。9歳よりファゴットを始め、3年後若い音楽家のためのコンクールに優勝を飾る。81年ウィーン国立音楽大学を最優秀の成績で卒業。78年ウィーン国立歌劇場管弦楽団およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、85年より両楽団の首席奏者を務めている。また、室内楽奏者として、ウィーン木管合奏団、新ウィーン八重奏団のメンバーを務める他、バロック・ファゴット(古楽器)奏者として、コンセントゥス・ムジークス・ウィーンのメンバーを務めるなど、世界各地での演奏旅行やレコーディングを行い、積極的な活動を行っている。これまで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、ウィーン・モーツァルト・アカデミー、ウィーン室内管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団などのオーケストラと共演し、好評を博す。演奏活動以外、ファゴット及び管楽器室内楽の教師として、ウィーン国立音楽大学に務めている。
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仲道 郁代(ピアノ)
大学1年在学中に、第51回日本音楽コンクール第1位、あわせて増沢賞を受賞し注目を集めた仲道郁代は、数々の国内外での受賞を経て、ヨーロッパと日本で本格的な演奏活動をスタートさせた。
これまでに日本の主要オーケストラと共演した他、海外のオーケストラとの共演も数多く、その音楽性に高い評価を得ている。近年では、2001年にサンクトペテルブルク、ベルリン・フィルハーモニー・ホールでのコンチェルト・デビューを果たし、ますます活動の幅を広げている。一方、室内楽の分野でもショスタコーヴィチ弦楽四重奏団、ベルリン・フィル八重奏団等と共演。また、リチャード・ストルツマン(クラリネット)、ヨセフ・スーク(ヴァイオリン)とのデュオが、各地で絶賛され、海外アーティストの厚い信頼を得ている。
リサイタルも日本各地で行っており、1994年から5年間にわたり行った3大Bのシリーズ、98年から4年間にわたり行った「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会」の真摯な取り組みと高い音楽性が評価され、02年からは彩の国さいたま芸術劇場にて、4年間全12回にわたりベートーヴェン・ピアノ・ソナタを諸井誠氏(埼玉県芸術文化振興財団理事長)と解説しながら演奏を行うという画期的なプログラムに取り組んでいる。また96年からスタートさせた「仲道郁代の音楽学校」は、世界でも初めての啓蒙プログラムとして国内外から注目され、99年にはマンハッタン音楽院でマスター・クラスを行った他、00年にはアジア・ツアーを成功させるなど、彼女の重要なライフ・ワークになっている。そして03年からは、よりクラシックファンを広げたいとの想いから名称を「仲道郁代のゴメン!遊ばせクラシック」と変更した。00年秋には、「絵とお話とピアノでつづる“星のどうぶつたち”」や妹の仲道祐子との「デュオ・リサイタル」など個性豊かなプロジェクトも各地で好評を博している。
またこれまでに15枚のCDをリリースしている。そして現在、「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ」全曲演奏と併せて録音もスタートし、06年までに10枚リリースされる予定となっている。また著作には「ステージの光の中から」(音楽之友社)がある。温かい抒情と完璧なまでの技巧に支えられ、輝きと深みを増している仲道郁代は日本を代表するピアニストへと成長を遂げており、ますます目が離せない存在になっている。
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吉野 直子(ハープ)
吉野直子は今日、世界のハープ界にあって、その活躍が最も注目されている逸材である。ロンドン生まれ。6歳よりロサンゼルスでスーザン・マクドナルド女史のもとでハープを学び始める。1981年第1回ローマ国際ハープ・コンクール第2位入賞。85年第9回イスラエル国際ハープ・コンクール優勝(参加者中最年少)、国際的キャリアの第一歩を踏み出した。
これまでに、欧米の一流オーケストラおよび日本国内の主要なオーケストラと共演を重ねており、また、優れた室内管弦楽団にもソリストとして招かれており、リサイタルもニューヨーク、ウィーン、ロンドン、東京などで重ねている。加えて、オーストリアのザルツブルク音楽祭、イタリアのストレーザ音楽祭、スイスのルツェルン音楽祭、日本のサイトウ・キネン・フェスティバル松本、アメリカのマールボロ音楽祭など各国の音楽祭にも度々招かれ、常に好評を博している。室内楽の交流も幅広く、ヴァイオリンのギドン・クレーメル、ヴィオラのヴェロニカ・ハーゲン、今井信子、フルートのオーレル・ニコレ、ジャン・ピエール・ランバル、ウォルフガング・シュルツ、工藤重典、佐久間由美子などの世界の優れたアーティストたちと定期的に共演している。レコーディング活動も活発で、テルデック、フィリップス、ソニー・クラシカル、ヴァージン・クラシックス等に録音を残している。また、武満徹「そして、それが風であることを知った」をはじめハープの新作も数多く紹介してきており、2001年3月には細川俊夫「ハープ協奏曲」を世界初演。
近年では、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、ライブツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、北西ドイツ・フィルハーモニー、デュッセルドルフ交響楽団、グスタフ・マーラ・ユーゲント・オーケストラ等と共演するほか、03年夏よりルツェルン音楽祭でクラウディオ・アバドの呼びかけによって世界トップ・クラスのソリストたちで結成されるルツェルン・フェスティヴァル・オーケストラにも参加。
85年アリオン賞、87年村松賞、88年芸術祭賞、89年モービル音楽賞奨励賞、91年文化庁芸術選奨文部大臣新人賞、エイボン女性芸術賞をそれぞれ受賞している。国際基督教大学卒業。
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中嶋 彰子(ソプラノ)
北海道釧路市生まれ。15才の時に渡豪。シドニーで音楽教育を受ける。1990年全豪オペラ・コンクールに優勝。同年、シドニー・オペラハウス、メルボルン・オぺラハウスと契約し<皇帝ティートの慈悲>のセルヴィリアでデビュー。91年指揮者クリストファー・ホグウッドに認められ、彼の率いるアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックのソリストとして日本・ヨーロッパ公演に参加。92年イタリア、ナポリのサン・カルロ劇場にてヨーロッパ・デビュー。同年、オーストリア、インスブルックの国際バロック音楽祭でヘンデルのオペラ<アルチーナ>のタイトルロールを歌い、ヨーロッパ放送連合より92年度最優秀賞を受賞。
その後は活動を本格的にヨーロッパに移し以後97年までインスブルック・チロル歌劇場のソリストとし専属契約。そこで、イタリア・ベルカント・オペラから<魔弾の射手>等のドイツ・オペラまでレパートリーをひろげる。97年にはドイツのダルムシュタットの州立歌劇場と契約、モーツァルトやR.シュトラウスのオペラを含む数々のリーヂィング・ロールをこなし、またその活動はドイツ国内にとどまらず、ヨーロッパの多くの管弦楽団との共演、リサイタル歌手として、ヴォルフやシューベルト等のリート・コンサートなどをこなし現在にいたる。99年ダルムシュタットで、彼女の最も得意とするドニゼッティ <ランメルモーアのルチア> のタイトルロールでセンセーショナルな大成功をおさめている。ちなみに、このルチアで中嶋彰子はドイツ語圏の最有力オペラ誌「オペルンヴェルト」の選ぶ年間最優秀新人賞にノミネートされた。99年よりウィーン・フォルクスオーパーの専属歌手となり絶賛をあびている。
オペラ以外にもヨーロッパでのコンサート活動、ヨーロッパ有数の音楽祭への出演をしている。99年にはシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団との共演で本格的日本デビュー。以後、日本での帰国公演は数々の国内外のオーケストラとの共演だけでなくオペラデビューも果たした。03年はウィーン・フォルクスオーバーでは数々のレギュラー出演作品の他に新演出ロッシーニ<イタリアのトルコ人>(フィオリッラ)が新たな話題となり、日本でも、オペラ出演が続いている。今シーズン(03〜4年)ウィーンでは新演出プレミエ作品としては、ヨハン・シュトラウス<ヴェネチアの一夜>が予定されている。
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ジョン・健・ヌッツォ(テノール)
1966年5月5日、東京生まれ。イタリア系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。東京セントメリーズ・インターナショナルスクール卒業。南カリフォルニア・チャップマン大学音楽学部・声楽科に留学。大学在学中にアリタリア国際声楽コンクール第2位。ローマ法王の前でマリアを歌う機会にも恵まれた。91年大学卒業後、オレンジ・カウンティー・マスターコラールによるバッハのミサ・ハ短調でソリストに抜擢されデビューし、絶賛される。オペラではサン・ベルナルディーノ歌劇場にて、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」フェランド役でデビュー。93年ロサンゼルス・ヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、ロサンゼルスNATS声楽コンクールヤングアーティスト部門第1位、パサデナ・オペラ声楽コンクール第1位入賞。
95年帰国後、英語と日本語のバイリンガルとエンターテナーの特性を生かし、イヴェントやショウのMCとして活動。一時はクラシックの世界から遠ざかる。
98年国際ベルヴェデーレ・コンクール優勝。2000年9月、ウィーン国立歌劇場のテノール歌手として専属契約を結んでデビュー。01年同劇場においてプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」でリヌッチョ役、ウィーン・フォルクスオーパーではバーンスタイン作の「ウェストサイドストーリー」で主役のトニー役で出演、一躍国際舞台での脚光を浴びる。01年これまでの功績を認められて、毎年オーストリアの2人の優れた音楽家に贈られる新人賞エバーハルト・ヴェヒター賞を受賞。01年毎日放送による番組「情熱大陸」で、ジョン・健・ヌッツォを取り上げたドキュメンタリー番組が放映され、彼のウィーン国立歌劇場での活躍が日本においても広く紹介された。
02年ザルツブルク国際音楽祭に出演。NHK「紅白歌合戦」出場。03年NHK「ニューイヤーズオペラコンサート」、NewYork メトロポリタンオペラにデビュー、レバイン指揮ミュンヘンフィルと共演、ザルツブルク音楽祭出演、第13回出光音楽賞受賞 マキシシングルCD「トレジャー・ヴォイス」発売中。04年NHK大河ドラマ「新撰組!」テーマ曲歌唱、新国立劇場 オペラ「スペインの時」、ウィーン国立歌劇場オペラ「愛の妙薬」に出演予定。日本とウィーンを中心に活躍中。
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