モータースポーツ活動の変遷

豪州一周ラリー 「トヨペット クラウン デラックス」

1957年8月21日〜9月8日、走行全距離約10,000マイルという世界最長の自動車競技で最も過酷で有名な豪州一周モービルガス・ラリーに、日本から近藤幸次郎/神之村邦夫組の「トヨペット クラウン デラックス」が初参戦。レース参加台数102台中50台がリタイヤ、失格等で姿を消す中、「トヨペット クラウン」は見事に完走し、完走車52台中47位。海外からの参加車11台中3位で外国賞を受賞。「トヨペット クラウン」だけが車両点検から修理に至るまで全部を選手が行い、トヨタの技術を世界的に証明した。

豪州一周ラリー「トヨペット クラウンデラックス」

豪州一周ラリー「トヨペット クラウンデラックス」

日本グランプリ自動車レース 「トヨペット クラウン」「トヨペット コロナ」「パブリカ」

1963年5月3日〜4日、鈴鹿サーキットで行われた国際公認第1回日本グランプリ自動車レースでトヨタ車が出場全種目を制覇。

1600-2000ccクラス 「トヨペット クラウン」優勝
1300-1600ccクラス 「トヨペット コロナ」1、2、3位
400-700ccクラス 「パブリカ」1、2、3位
国内外の車両を押さえ優勝。ドライバーをはじめトヨタ車の高性能を立証。

日本グランプリ自動車レース「トヨペット クラウン」他

日本グランプリ自動車レース「トヨペット クラウン」「トヨペット コロナ」ほか

スピードトライアル 「トヨタ 2000GT」

1966年10月1日〜4日、茨城県筑波郡谷田部町の自動車高速試験場に於いてFIA(国際自動車連盟)スポーツ委員会立会いの下、「トヨタ2000GT」による日本初の世界記録ならびに国際記録挑戦スピードトラアイルに挑戦。72時間、15000キロ、10000マイルの3種目に世界新記録、13種目に国際新記録を樹立。

この挑戦は、世界記録、国際記録の更新を目指す一方、200キロ以上で78時間を走行することで得られる数々のデータを技術開発にフィードバックし、トヨタの技術をより一層向上させることを目的とした。

スピードトライアル「トヨタ2000GT」

スピードトライアル「トヨタ2000GT」

ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース(日本CAN-AM) 「トヨタ7 (5L)」

1969年11月23日ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース(日本CAN‐AM)に、トヨタはマクラーレンM12にトヨタエンジンを搭載した車両を含む4台(鮒子田寛、久木留博之、細谷四方洋、川合稔)の「トヨタ7(5L)」で出場。優勝候補のJ.オリバー(オートコーストT122)を筆頭に外国人招待選手9人を含む17台が出走。47周目首位につけた川合稔が猛追する後続を退け、75周を首位走行し優勝。外国車を差し押さえトヨタが日本CAN-AMを初制覇。

ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース(日本CAN-AM)「トヨタ7(5リッター)」

ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース(日本CAN-AM)「トヨタ7(5L)」

WRC RACラリー 「セリカ1600GT」

1972年12月2日〜5日、英国本土を駆け巡る3200キロのダートコースで行なわれる世界メーカー選手権ラリーのRACラリーに日本から「セリカ1600GT」(FIAグループⅡ)が参戦、クラス優勝。総合9位で上位入賞。

スタート197台の参加車両のうち、完走車両が80台という過酷なラリーで、オベ・アンダーソン/G.フィリップス組は、終始、好位をキープ。「フォード・エスコート」や「ランチャ・フルビア」、「サーブ96」などの並いる強豪車が多数参加する中で好成績を獲得。「セリカ」の抜群の耐久性を実証。このレースが第一歩となり、トヨタとオベ・アンダーソンとのラリー活動がスタートした。

WRCサファリラリー「セリカ ツインカムターボ(TA64)」

WRC RACラリー「セリカ1600GT」

WRC 1000湖ラリー 「トヨタカローラ レビン」

1975年8月29日〜31日、森と湖の国フィンランドを舞台とするWRC第7戦 第25回1000湖ラリーにトヨタはハンヌ・.ミッコラ/アトソ・アホ組の「トヨタカローラ レビン1.6リッター」が参戦。森林地帯の悪路を堂々完走し、優勝。伝統の"1000湖ラリー"で1.6リッターカーがトヨタに本場ヨーロッパで初の制覇をもたらした。

ラリーコースは全長1500キロで42のスペシャルステージ(延べ350キロ)を含むダートコース。エントリーは98台で、2リッタークラスの並いる豪車を相手に、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)初のWRC優勝を獲得。

WRC1000湖ラリー「トヨタ カローラレビン」

WRC1000湖ラリー「トヨタ カローラレビン」

WRC サファリラリー 「セリカ ツインカムターボ(TA64)」Group B

1984年4月19日〜23日、アフリカ・ケニアで世界三大ラリーの1つで、全長5250kmの悪路を5日間で走破する世界で最も過酷といわれる1984WRC第4戦サファリラリーに、TTE(トヨタチームヨーロッパ)から「セリカ ツインカムターボ」が初参戦。ビヨン・ワルデガルド/ハンス・トーゼリウス組がみごと総合優勝に輝いた。

<「セリカ ツインカムターボ」が作った新記録>

WRCサファリラリー「セリカ ツインカムターボ(TA64)」

WRCサファリラリー「セリカ ツインカムターボ(TA64)」

SWC ル・マン24時間レース 「トヨタ TS010」

1992年6月20日〜21日フランスのサルテサーキットに於いてSWC第3戦 第60回ル・マン24時間レースが開催。トヨタは3台の「TS010」と2台の「トヨタ92C-V」が出場。TTT(トヨタチームトムス)の関谷正徳/ピエール・アンリ・ラファエル/ケネス・アチェソン組が、24時間で346周(約4705.6キロ)を走破し総合2位で表彰台を獲得。3.5リッターV型10気筒エンジンでは初のル・マン参戦で、トヨタRV10型エンジンのポテンシャルの高さを実証。

ターボ車では、トラストチームから参戦の「トヨタ92C-V」が最上位の5位を獲得。

SWCル・マン24時間レース「トヨタ TS010」

SWCル・マン24時間レース「トヨタ TS010」

WRC ラリー・オーストラリア「セリカ GT-FOUR (ST185)」

1993年9月18日〜21日WRC第10戦 第5回ラリー・オーストラリアにTTE(トヨタチームヨーロッパ)から「セリカGT-FOUR」が出場。ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組が圧倒的な速さで優勝、トヨタを日本初のメーカーチャンピオンへと導いた。

また、11月2日〜4日スペインで行なわれたWRC第12戦 第29回カタルニアラリーで、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組が3位入賞を果たし、カンクネンはこの年のWRCドライバーズタイトルを獲得。

これにより、トヨタはメーカー&ドライバーのダブルタイトル制覇という日本初の快挙を成し遂げた。

WRCオーストラリアラリー「セリカGT-FOUR」

WRC 第29回カタルニアラリー「セリカGT-FOUR(ST185)」

WRC サファリラリー 「セリカ GT-FOUR (ST185)」

1995年4月13日〜16日、アフリカ東部ケニアで第43回サファリラリーにTTE(トヨタチームヨーロッパ)から「セリカGT-FOUR」が出場。藤本吉郎/アーネ・ハーツ組が2位以下を約42分引き離す大差で優勝。栄えある日本人初のサファリ・ウィナーとなった。

また、前年覇者のチームメイト イアン・ダンカン/デビット・ウィリアムソン組も3位に入賞。これにより、「セリカGT-FOUR」は世界一過酷なサファリラリーで4年連続優勝、「セリカ」としては通算8回目の優勝を獲得。

WRCサファリラリー「セリカGT-FOUR」

WRCサファリラリー「セリカGT-FOUR(ST185)」

F1参戦決定

1997年6月11日、奥田碩社長(当時)の提案で東富士研究所に社内のモータースポーツ関係者が一同に会し、「F1はやりたくないのか?」という社長の一声からF1参戦へ道が開かれた。

F1GP参戦に向けた青写真が完成したのは、1998年の夏。1999年の取締役会で正式に認可された。1997年6月の奥田社長ミーティングからわずか1年半で決定。

1999年1月21日 F1GP参戦を発表し、1999年12月 FIAよりF1GP参戦権を獲得した。

SWC ル・マン24時間レース「トヨタ TS020」

1999年6月12日〜13日、第67回ル・マン24時間レースにトヨタは3台の「TS020」を出場。トヨタは純日本チーム(日本車と日本人ドライバー)でのル・マン史上最高の2位を獲得。

「TS020」は予備予選、予選ともに驚異的なタイムを叩き出し、2台がフロントローを独占。レースはトヨタとメルセデス、BMWのバトルが続くも、中盤、メルセデスによる重大アクシデントが発生し姿を消す。「TS020」はBMWを猛追するも2台が無念のリタイヤ。残った日本人ドライバー(片山右京/鈴木利男/土屋圭市)組が猛追。しかし残り1時間、22秒差まで追い詰めたところで突然タイヤがバースト。修復し、コース復帰するものの追い上げならず、表彰台を目前に2位でゴール。

SWCル・マン24時間レース「トヨタ TS020」

SWCル・マン24時間レース「トヨタ TS020」

WRC ラリー・オーストラリア「カローラWRカー」

トヨタとTTE(トヨタチームヨーロッパ)はこのシーズン限りでWRCからの撤退を表明。

WRC第13戦 第12回ラリー・オーストラリアにTTEからは、カルロス・サインツ/ルイス・モヤ組、ディディエ・オリオール/デニス・ジローデ組の2台の「カローラWRカー」が参戦。サインツが果敢な走りを見せ2位でフィニッシュ。トヨタは5年ぶり3度目のメイクスチャンピオンを獲得。「カローラWRカー」ワークス参戦の有終の美を飾った。

これまでのトヨタのWRC活動に対し、惜しみない賛美が送られた。

WRCラリー・オーストラリア「カローラWRカー」

WRCラリー・オーストラリア「カローラWRカー」

F1オーストラリアGP「TF102」

2002年3月3日、F1第1戦オーストラリアGPが開催され、トヨタは「TF101」(テストカー)の改良を重ね、ミカ・サロとアラン・マクニッシュが駆る「TF102」 2台で出場。F1初出場にして6位(ミカ・サロ)の初入賞、初ポイントを獲得。

F1オーストラリアGP「TF102」

F1オーストラリアGP「TF102」

15.CARTマイアミ 「トヨタ/ニューマン/ハース・レーシング/ハボリン」

トヨタは1996年からCARTに参戦するも、エンジントラブル続出で苦悩の連続。幾度の屈辱を味わいながら、2000年第6戦ミルウォーキーにて初優勝を獲得するまでに成長。2002年には第16戦マイアミでクリスチアーノ・ダ・マッタ(ニューマン・ハース・レーシング)が初のドライバーチャンピオンを獲得。第17戦オーストラリアでケニー・ブラック(ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング)が4位に入賞。この瞬間にトヨタはCART参戦初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得し19戦中10勝の快挙。記念すべきCART参戦最後の年を締めくくった。

CART第16戦マイアミ「クリスチアーノ・ダ・マッタ(ニューマン/ハ―ス・レーシング)」

CART第16戦マイアミ「クリスチアーノ・ダ・マッタ(ニューマン/ハ―ス・レーシング)」

CART「LOLA/TOYOTA」

CART「LOLA/TOYOTA」

IRL インディアナポリス500「トヨタ/マルポロ/チームペンスキー/パノスGフォース」

2003年5月25日、U.S.A.インディアナポリス・モーター・スピードウェイに於いて第87回インディアナポリス・500マイルレース(通称インディ500)が開催。トヨタは6チーム14台のトヨタエンジン搭載車で参戦。ペンスキー・レーシング・チームのジル・ド・フェランが伝統の“インディ500”で初優勝し、トヨタエンジンによる日本メーカー初制覇を達成。モナコGP、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースと称する偉大なレースで国産エンジン初優勝をもたらした。

また、日本人ドライバー高木虎之介(モー・ナン・レーシング)は、歴代日本人最高位の5位でフィニッシュし、ルーキーオブザイヤーを受賞した。

IRLインディ500「ジル・ド・フェラン(マルボロ/チームペンスキー)」

IRLインディ500「ジル・ド・フェラン(マルボロ/チームペンスキー)」

IRLインディ500「トヨタ/マルボロ/チームペンスキー/パノスGフォース」

IRLインディ500「トヨタ/マルボロ/チームペンスキー/パノスGフォース」

IRL 最終戦テキサス「トヨタ/ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング/パノスGフォース」

2003年10月13日、IRL最終戦テキサスにて、トヨタは2002年のCARTに続き、ドライバーズ(スコット・ディクソン/ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング)ならびにマニュファクチャラーズダブルタイトルを獲得。IRL初参戦で初制覇を達成。

この年トヨタは、16戦中11勝。ドライバーズポイントでは表彰台を独占。マニュファクチャラーズでは1-2位を獲得。

IRL最終戦テキサス「ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシング」

IRL最終戦テキサス「ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング」

IRL最終戦テキサス「トヨタ/ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシング/パノスGフォース」

IRL最終戦テキサス「トヨタ/ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング/パノスGフォース」

F1 2005年シリーズ「TF105」

2005年3月20日、第2戦マレーシアGPにトヨタは「TF105」で出場。F1参戦4年目にして、ヤルノ・トゥルーリが念願の初表彰台(2位)をトヨタにもたらした。

次の第3戦バーレーンGPに於いても2位、第5戦スペインGPは3位を獲得。第13戦ハンガリーGP、最終戦の中国GPではラルフ・シューマッハーが3位表彰台を獲得した。

コンストラクターシリーズポイントに於いてはF1参戦最上位の4位を獲得。トヨタのF1カーのポテンシャルとドライバー、チームすべてが最強の年となった。

F1マレーシアG16.P「ヤルノ・トゥルーリ」

F1マレーシアGP「ヤルノ・トゥルーリ」

F1マレーシアGP「TF105」

F1マレーシアGP「TF105」

F1GP撤退表明

2009年11月4日、トヨタは急激な経済情勢の影響を受け、昨今の厳しい経営環境を鑑み、惜しまれながらこのシーズンをもってF1からの撤退を決定。

参戦8年間で表彰台13回、入賞87回という成績を残した。