ごあいさつ

トヨタ自動車株式会社 会長: 張 富士夫

取締役会長

張 富士夫

2012年11月

おかげさまで、トヨタ自動車が誕生して今年で75周年を迎えることができました。世界中のお客様をはじめ、仕入先や販売店、関係会社の皆様のご支援や従業員の努力の賜物であり、厚くお礼申し上げます。

当社の創業者である豊田喜一郎は、父佐吉から「研究と創造の精神」を受け継ぎました。日本が貧しかった昭和の初期、モノづくりを通じて欧米のように国を豊かにしたいという気持ちは、この時代に生きた誰もが抱いた、言わば時代の気概であったかもしれません。しかし、考えることと実行することとは天地の開きがあります。本気で自動車事業に挑戦した人はごく僅かでありました。

当時は基礎技術も今のように優秀な技術を持つ関係会社もありませんでしたから、すべてのことを自分たちで勉強し、部品から一つひとつ自前でつくり上げていきました。その際、喜一郎は徹底して現地現物を貫きました。工場で技術者の手を見て、油まみれだと機嫌が良かったそうです。また彼は「自動車は一技師の道楽ではできません。幾多の人々の苦心研究と各方面の知識の集合と長年月に亘る努力と幾多の失敗から生まれ出た」とも述べ、チームで事を成し遂げたことを強調しております。

とは言え実際の生産現場は試行錯誤の連続でした。朝つくった部品が夕方には設計変更されてムダになります。「必要なものを必要なときに必要なだけつくる」ジャスト・イン・タイムによる生産は、こうした切羽詰まった事情で始まったのです。

その後生産現場では「良い品を安くつくる」ために、日々カイゼンを積み上げる風土が根付いていきました。それを支える考え方が人間性の尊重です。愚直にコツコツ努力をする、そして自分の頭で現場の改善を提案できるヒトをつくる。これが「モノづくりは人づくり」と言われる所以です。

80年代中頃から、米国で本格的な海外生産が始まり、生産拠点も一気に海外に広がりました。以来、トヨタはグローバル企業へ脱皮する過程で様々な異なる価値観と出会い、戸惑いながらも手探りで道を切り開いてきました。これがうまくいったのは幸運もあったのでしょうが、喜一郎の創業の精神と先達の築いた企業風土がグローバルにも通用するものであったからだと思います。いま世界各地の仲間がトヨタウェイを理解し、実践し、日々高品質のクルマづくりへ挑戦してくれていることは本当に嬉しくまた頼もしく思います。

トヨタはこれからも良品廉価なクルマづくりを通じて、世界各国の経済・社会の発展に貢献してまいる所存です。関係各位には、重ねて75年間のお礼を申し上げますとともに、今後も一層のご支援を賜りますようお願い申し上げ、75年史刊行のご挨拶とさせていただきます。

取締役社長: 豊田 章男

取締役社長

豊田 章男

2012年11月

当社の設立登記日は昭和12年(1937年)8月28日です。この年から数えて今年は75年になります。この間、お客様をはじめとするあらゆるステークホルダーの皆様に支えられて今日のトヨタがあります。いま世界中でクルマづくりができることを本当に幸せに思い、皆様に心から感謝申し上げます。

しかし、私の祖父である創業者豊田喜一郎にとって、会社をつくることは一つのステップにすぎませんでした。彼の夢は「大衆のための乗用車をつくり、国を豊かにすること」だったのです。したがって、その夢を実現する挙母工場(現在の本社工場)の竣工式を行った昭和13年(1938年)11月3日こそ喜一郎にとって特別な日となりました。当社が創立記念日をこの日にしているのはそのためです。

基礎的な工業が未発達であった昭和初期に、日本人の手で自動車産業を興すということが、いかに途方もない挑戦であったのか、今では想像もできません。しかし創業期の艱難辛苦を想うとき、喜一郎とそこに集まった人々をクルマづくりに駆り立てたものは、「いいクルマをつくりたい」、そして「お客様が喜ぶ顔を見たい」という純粋無垢な想いではなかったかと思います。

喜一郎の没後、この気持ちは後進に継承されます。しかし、クラウン、コロナ、パブリカなどの初期のモデルは、必ずしも順風満帆とは言えませんでした。海外の道路事情の研究不足、予期せぬ生産トラブル、お客様の嗜好の読み違えなど、数々の失敗や挫折を味わったのです。

いいクルマをつくるために一切の妥協を許さない開発現場、良い品を安くつくるために知恵を出し改善を積み重ねる生産現場、神業のような熟練技術を持った匠たち、お客様との絆を何よりも大切にする営業スタッフなど、これらは数々の困難によって鍛えられ、育まれたトヨタの企業風土です。私が若い頃には、各職場にトヨタの伝統を体現する権化がおり、私も随分薫陶を受けたものです。

75年の節目にあたって、改めて先人たちの築いたトヨタの文化や風土を誇りに思い、同時にこの財産を次世代に継承していく責任の重さを感じます。

トヨタが初めて市販したクルマはG1型トラックでしたが、これは故障の連続でした。喜一郎はその知らせを受けるたび、すぐに現場へ駆けつけ、クルマの下にもぐって原因を突きとめ、お客様に謝罪して回りました。ここに今日まで続くお客様第一、品質第一の原点を見ることができます。同時に、当時そういうクルマでも買っていただき、我慢して使っていただいたお客様の存在を忘れることはできません。

トヨタはお客様に育てられた会社です。お客様への感謝をひとときも忘れることなく、これからも「いいクルマをつくって、お客様から笑顔をいただく」ことを目指していきたい。そのことをお約束して、75年史発刊の巻頭言といたします。