新たな仕組みづくり
新生トヨタは、本社を豊田市の旧自工本社に置き、名古屋市の旧自販本社を名古屋支社、1982(昭和57)年2月に東京都文京区に完成した東京ビルを東京支社とした。
新たな組織の編成は、合併効果を早期に引き出せるよう意思決定の迅速化と業務の効率化を念頭に進められた。豊田英二会長は、合併効果が期待できる領域の一つとして物流に着目し、物流・コントロール部門の新設を指示した。
このような検討を踏まえて、新生トヨタの発足時の組織は、本社スタッフ・ライン部門、購買・社外調達部門、国内販売部門、海外関係部門、技術・生産技術部門、物流・コントロール部門、生産部門、事務所等の8機能部門で構成された。そして、工販両社に共通していた秘書室、人事部、総務部など26の部・室を18に統合する一方、お客様関連部や管財部などを新設し、全社では148部595課の体制となった。
このうちお客様関連部は、従来それぞれの部署が対応していたお客様からの相談や苦情の窓口を一本化するとともに、国内販売店や海外のディストリビューターでもお客様対応体制の整備を進めた。合併後の経営方針として掲げられていた「お客様第一主義」に徹して、お客様の声を集約・分析し、より良いクルマづくりにつなげることでトヨタファンの維持拡大を図ることもねらいとした。
豊田章一郎社長は、新組織に基づく辞令交付の場で訓示1し、「1日も早く合併の実をあげ、真に社会の信頼を得ることのできる新生トヨタ自動車を築かねばならない」と述べた。
新生トヨタの発足を目前に控えた1982年6月には、1970年に分離していた労働組合の一体化について組合員投票が実施され、9月1日付で労組も一つにまとまった。折しも、1962年の労使宣言締結から20周年の記念すべき年であった。合併に先立つ同年3月、会社と組合は、新しくトヨタ自動車としてスタートを切るにあたり、労使相互信頼の絆をいっそう密にし、労使相携えて難関を切り開き、真の世界企業としての長期的な繁栄と、従業員の生活安定に向けて努力を重ねることを誓い合った。そして、合併直後である9月6日の新労働協約の調印式では、豊田社長と組合の鈴鹿三郎執行委員長が労使宣言の基本精神を再確認した。
9月27日には合併後初となる第78回定時株主総会を開催し、合併に関する報告事項の承認を得た。翌日に合併登記を終え、すべての手続きが完了した。
株主総会では新たに取締役8人と監査役1人を選任し、その後の取締役会を経て、会長、副会長、社長以下、副社長3人、専務7人、常務9人、取締役26人、監査役5人の新経営体制がスタートを切った。この新体制のもと、各種の役員会議を通じて、技術から生産・販売にわたる役員の交流が図られ、合併がねらいとした意思決定のスピードアップや、人材の有効活用、経営資源の効率活用が進展することになった。
なお、合併を機に労働条件の調整も行われた。これまで工販両社は「同一労働条件」を前提にしてきたものの、各種手当てなどに違いが生じていた。このため、旧工販両社の支社が一体になった東京支社では、合併に先立って両社の間に委員会を設けて、就業時間から食堂、女性社員の制服に至るまで、あらゆる面の調整・統一を推進した。