トヨタ金融株式会社の設立

1936(昭和11)年10月31日、豊田自動織機製作所はトヨタ金融株式会社を設立した。同社は、割賦で自動車を購入する者に融資を行う会社で、神谷正太郎販売部長が設立を提案したものであった。当初は資金力に乏しい荷馬車業者がトラック輸送業へ転業する際、トラックの購入に盛んに利用された。しかし、1940年8月にトラックとバスの生産・販売が統制下に置かれ、配給制が始まるとともに、自動車の供給は軍需優先となり、融資対象の民需が急速に減少したため、トヨタ金融の融資事業も先細りとならざるを得なかった。

一方、トヨタ金融は、1940年3月に設立された豊田製鋼株式会社1、1941年5月に設立された豊田工機株式会社2の株式を取得し、持株会社としての役割を担うようになった。さらに、1942年2月には豊田紡織と中央紡織などの5社が国策により合併し、中央紡績株式会社が設立されるに伴い、豊田紡織が所有する豊田紡織廠や豊田自動織機製作所の株式を継続管理するため、トヨタ金融が各社の株式を買い取った。

このように、持株会社としての事業が拡大したことから、1942年4月にトヨタ金融は豊田産業株式会社に社名を改めた。同時点でその持株は、豊田紡織廠、豊田自動織機製作所、トヨタ自工、豊田製鋼、豊田工機など総額1,300万円に達した。

1944年には東洋紡績が保有するトヨタ自工の株式を取得した。東洋紡績は、トヨタ自工が行った1939年4月の第1回増資、1943年1月の第2回増資に際し、大量の株式を引き受けていた。豊田産業は、東洋紡績からトヨタ自工の株式27万9,000株(発行済み株式の23.25%)3を譲り受けるため、資本金を100万円から1,000万円に増資し、その資金を株式買収に充当した。

戦後になると、豊田産業では、豊田関連各社が民需転換によって製造するさまざまな製品、例えばトヨタ自工製の自転車空気入れ、電気コンロ、電気ストーブ、トヨタ車体製木工製品(工具箱、紡績用木管、食卓など)、豊田工機製手回し製粉機などを扱う商事部門が設けられた。

豊田産業は、1947年9月、持株会社整理委員会によって持株会社に指定され、解散を命じられた。そこで、商事部門を分離して新会社を設立することになり、1948年7月1日に日新通商株式会社(現・豊田通商)が発足した。

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