第6節 戦後の事業整理と労働争議

第1項 新規事業の模索

住宅事業

豊田喜一郎社長は、太平洋戦争の空襲により、200万戸以上の住宅が焼失したところから、戦後の日本では住宅建設が重要な課題になると考えていた。加えて、戦時中の乱伐で木材の不足が懸念されたため、工業化工法によるコンクリート建築を住宅建設に応用したプレコン住宅の開発を考えた。プレコンとは、プレキャスト・コンクリート(Precast Concrete)の略で、あらかじめ工場で製造した鉄筋コンクリート製の部材を現場で組み立て、建物を造る工法である。

トヨタ自工では、1946(昭和21)年3月に平山ガラス工場1をプレコン工場に転用し、鉄筋コンクリート部材の研究を開始した。そして、その実用化に成功すると、同工場は分離独立され、1950年6月7日にユタカプレコン株式会社が設立された。同社の資本金は2,400万円で、社長には豊田佐助が就任した。なお、プレコン住宅の技術開発により、同社は1954年5月に発明協会から「実施賞」を受賞した。2その後、ユタカプレコンは豊田コンクリート株式会社、豊田総建株式会社と改称し、現在はトヨタT&S建設株式会社となっている。喜一郎の発意でスタートしたコンクリート建築の構想は、プレコン事業として実現し、さらにプレハブ住宅のトヨタ・ホーム事業へと展開していった。

このページの先頭へ