工場設備の復旧

1945(昭和20)年8月14日の空襲で損壊した工場の修復が進むにつれて、各地に疎開していた機械設備も挙母工場に戻され、徐々に生産体制の復旧準備が整った。

1946年4月には「臨時復興局」が発足し、豊田喜一郎社長自らが局長に就任して復興の指揮にあたった。機械設備の修復とあわせて、将来のための設備拡充も実施され、計画どおり1年間で工場復旧が完了した。1947年3月には本格的に生産が再開され、臨時復興局は解散された。

このページの先頭へ