Formula TOYOTA


Press Release

2003エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ第4/5戦・筑波
_/_/_/2003 ESSO FORMULA TOYOTA SERIES ROUND 4/5 TSUKUBA
  • 筑波サーキット/20周・25周
  • 予選:8月9日(土)曇り/ドライ/観客数:未発表
  • 決勝レース:8月10日(日)晴れ/ドライ/観客数:11,100人

初の2レース開催、中嶋一貴の連勝をまず小林可夢偉が止めれば、
続く第5戦は土壇場の大逆転で、川口慶大が初優勝!

フォーミュラトヨタも1大会2レース開催を実施。ついに中嶋の連続ポール止まる
 エッソ・フォーミュラトヨタの筑波ラウンドにおいて、シリーズの新機軸である『ダブルヘッダー大会』が初めて実施されることとなった。流れとしては現在の全日本F3選手権の1大会2レース開催と一緒。土曜日に2戦の予選を行い、その日のうちに第1レース(第4戦)を開催。そして第2レース(第5戦)を日曜日に開催するというものだ。なお、それぞれの予選は15分間で競われ、インターバルはわずか10分となっている。
 しかし、その予選だが、接近する台風10号の影響を辛うじてかわし、いずれも強い風にあおられこそしたものの、ドライコンディションは何とか保たれた。とはいえ第4戦の予選が始まっても、なかなかシリーズの上位陣はピットを離れない。が、これは直前にカートレースが行われていたため。レーシングカートの2ストロークエンジンはオイル混じりのエキゾーストがコースを汚すため、ライバルに露払いをさせて、少しでもコンディションが向上したところからアタックさせようというチームの配慮である。もっとも、これで雨が降り出そうものなら、すべてが水の泡となるが、それほど天候の読みに自信あったか、本格的にコースが濡れる前なら数周でもタイムを出してくれる、というドライバーへの信頼があったのだろう。
 きっと理由は両方だったはず。というのも、ちょうど折り返しの頃から走行を開始したドライバーたちによってトップは争われたからだ。56秒台前半をいきなりコンスタントに連発していたのが中嶋一貴と小林可夢偉、そして川口慶大。最初のベンチマークとなったのは中嶋で、わずか3周にして55秒台にあと一歩と迫ったのだが、その後の伸びを何故か欠いてしまう。一方、誰より早く55秒台に入れたのは川口ながら、勝負どころの終了間際にクリアラップをとることができず。好対照だったのが小林で、川口が苦悩していたちょうどその頃、完璧なクリアラップを2周に渡ってつかみ、55秒921、55秒765と好タイムを連発して初ポールを獲得する。結局、55秒台に突入したのは小林と川口、そして石浦宏明の3人のみ。
 続く第5戦の予選は、開始から間もなく1コーナーでコースアウトするクルマがあって赤旗中断。再びコースが汚れ、ほとんどのドライバーが第4戦のタイムを上回れぬ中、気を吐いたのが川口と石浦だった。このふたりだけがまたしても55秒台に乗せ、タイムアップに成功。それぞれポジションをひとつずつ上げ、55秒868をマークした川口が小林に続いて、初めてのポールポジションを獲得する。
「1回目の予選はただただ夢中で……。どんな走りだったか覚えてません(笑)。でも、クリアラップだけは文句なしに取れました。なのに2回目はあちこちでブロックされまくり。1回目にポールをとったことでマークされちゃったんでしょう。まぁ、ここんとこスタートでいろいろあり過ぎたので、今回こそは決めてみせます。そうすれば!」と語るのは小林。手応えもさることながら第5戦が3番手だったことへの不満も、その言葉からは見え隠れした。
 一方、川口もまた「他のコースに比べれば、走った経験が多いからなんでしょう。その分、クルマを信じて走ることができました。ただ、2回目は1コーナーに砂が出ちゃったんで、コンディションは良くなかったはずなんです。そう考えると、肝心なところで引っかかりまくったのが痛い。もっと良いタイムが出ていてもおかしくなかったはずですから」と、ポールを奪えたことよりも、もう一戦をまとめきれなかったことを不満に思っているよう。何とも贅沢な悩みだが、変に納得して気を緩めてもらっても困るというもの。なお、ここまで3戦連続でポールを奪い続けていた中嶋は、4番手/5番手に留まっている。


台風の影響で第4戦は順延。しかし、日曜早朝、小林が完璧なレース運び見せる
 さて、予選を終えてから3時間あまりのインターバルをおいて、第4戦の決勝が行われるはずだった。グリッドにはマシンが並べられたものの、近づく台風はコースを完全にウェットコンディションに。しかも風はより一層強くなり、一時風速20mを記録した。これではレース中の安全は確保されないことから、第4戦は順延されることに。日曜日の早朝に行われ、併せて周回数も25周から20周に短縮されることとなった。
 一夜明けてみれば、まさに台風一過とはこのこと。好天というより、この夏最初の猛暑の中でレースは行われることになった。ちなみにスタート時の気温は31℃、そして路面温度は43℃にも達していた。そんな厳しき条件の中、ここ2戦失敗に終わっていたスタートをそつなく決めて、ポールの小林が1コーナーへのホールショットに成功。逆に2番手の川口がスタートに失敗し、4番手へと後退してしまう。オープニングラップを終えた段階での小林のマージンは実に1秒4。石浦、中嶋、川口、そして阿部翼がこれに続くも、差は歴然だった。
 ひとり余裕の走りを見せる小林に対し、後方では激しい2番手争いが演じられていたが、何しろこのコースはオーバーテイクを容易く許さない。それでも4周目の最終コーナーで、川口が中嶋をかわして3番手に浮上。また阿部が5周目にスピンを喫してしまう。しかも、4番手につけていた中嶋がブレーキロックから第2ヘアピンでコースアウト。復帰は果たせず、4戦目にして初めてのリタイアを喫してしまう。
 それでもなお激しく、石浦と川口の2番手争いは続き、小林との差を詰めるまでに至ったが、それぞれが逆転の決め手を欠き、上位3台の順位変動はなし。何とか逃げ切った小林が開幕戦以来の2戦目をマーク。石浦、川口の順でゴールし、予選8番手、10番手から小早川受黎、嵯峨宏紀が4位、5位へのジャンプアップを果たしていた。


ROUND4 WINNER'S COMMENT
「序盤の頑張りが効きました。これでポイントリーダーです!」(小林可夢偉)
「スタートは完璧とはいえないけど、とりあえず誰にも前に出られずに済んで、最初の数周はとにかく気合いでいきました。最後はかなり厳しかったんですが、やっぱり序盤の頑張りが効きましたね。次のレースは3番手からのスタートなんで、厳しいと思いますが、何が起こるか分からないからとにかく頑張ります。それと僕、ポイントリーダーにもなったじゃないですか。すごいなぁ(笑)」

ROUND4 WINNER'S PROFILE
16歳の強豪は、早くも2勝目をマークし、ランキングでもトップに
小林可夢偉(Kamui Kobayashi)生年月日:1986.9.13 出身地:兵庫県
 開幕戦で優勝を飾るも、続く第2戦では予選でのアクシデントにより、ほぼ最後尾からのスタートを余儀なくされ、また第3戦では痛恨のスタートミス。激しい追い上げで、いずれも3位にはつけていたが、無念のレース展開を強いられていた小林可夢偉。だが、第4戦では初めてのポールポジションから、見事なレース運びを見せて2勝目をマークすることとなった。
 小林はカートレースで誰もが認める華々しい実績を残した、16歳以上18歳未満のドライバーに対して与えられる、限定Aライセンスを手にしてフォーミュラトヨタ参戦の機会を得たドライバーである。96年、9歳からカートレースを始め、その翌年にはトヨタSL全国大会においてカデットクラスを制覇。その後は出場するシリーズでタイトルを総なめにしている。そして、01年には全日本カート選手権に出場し、ICAクラスでチャンピオンを獲得。アジア-パシフィック選手権においては2位に輝いている。
 同時に、この年はFTRSことフォーミュラトヨタ・レーシングスクールも受講して平手、そして番場琢とともにスカラシップを獲得。ただし、この段階でまだ15歳であったため、4輪レースデビューはかなわず、02年のメインターゲットは海外に、カートのヨーロッパ選手権に挑んでいた。そしてフォーミュラトヨタには最終戦でデビュー。リタイアに終わるも、予選では3位につけて、いきなり非凡な才能を4輪レース界にも知らしめることとなった。
 第5戦では惜しくも5位に留まったが、これでランキングもトップに。チームメイトである中嶋一貴を上回ることになったが、差はわずか5ポイント。互いが刺激し合って、成長し続けてくれることを期待したい。

阿部翼がレースの大半を支配するも、ラスト2周にまさかが。川口が逆転初優勝!
 第4戦が終了してから4時間後。第5戦は予定どおり25周で争われることとなった。気温はさらに上がり、35℃に達して路面温度は53℃にも! 第4戦に増して過酷なレースとなることが大いに予想された。
 決勝はいきなり波乱の展開から始まった。ポールの川口がまたしてもスタートを失敗したのに対し、阿部が4番手から絶妙のダッシュを切る。この2台は並びながら1コーナーに飛び込み、軽く接触。その結果、トップには阿部が立ち、2番手は小林。川口は3番手に後退し、石浦、中嶋、池田大祐、小早川を従えることとなる。勢いに乗る阿部は徐々に後続との差を広げ、6周目には1秒4のリードを築くが、酷暑は予想以上にタイヤを痛めつけたようだ。以降、2番手以下が集団になって阿部に急接近。中盤は阿部、小林、川口、そして石浦が完全にテール・トゥ・ノーズ状態となっていた。
 終盤になっても順位は入れ替わらず、そのままレースは終了するのかと思われた矢先に、レースは突然動いた。24周目のダンロップコーナー立ち上がりで阿部がミス。これに乗じてトップに立とうとした小林がアウトから攻め立てるも、ダートに足を落としてコントロールを失ってしまう。そして両者は接触! これを冷静に対処したのが川口だった。第2ヘアピンでトップに浮上。そして最終ラップを大事に走って、そのままチェッカーを受けることに。嬉しい初優勝を飾ることとなった。
 2位は阿部で、3位は最終ラップの最終コーナーで石浦をかわした中嶋が獲得。小林は連勝ならず、無念の5位に留まった。


ROUND5 WINNER'S COMMENT
「次のSUGOはもっと慣れているコースなんで、もっと頑張ります」(川口慶大)
「最後まで諦めずにいて良かったです。最後はダンロップコーナーの先で小林選手がアウトからいって、阿部選手と当たっているんですよ。それでふたりとも失速しているんで、『行けるかな……』と思っていたら、本当に前に出ることができました。ペース的には悪くなかったんですが、近付けるところと離されるところの差がけっこうあったんで、抜くまでには至らなかったんです。初優勝の実感っていうのは、あんまりないですね。スタートがあまりにも悪かったものですから。練習しなければいけないですね。まぁ、でも次のSUGOは筑波以上に走り慣れているコースなんで、もっと頑張ります!」

ROUND5 WINNER'S PROFILE
眠れる獅子はついに目を覚ました! ここからの躍進に期待
川口 慶大(Keita Kawaguchi)生年月日:80.4.17 出身地:茨城県
 最近はフォーミュラトヨタに限らず、フォーミュラに挑むドライバーはカートレースでの華々しい実績を持つ者が少なくないが、川口慶大もそのひとりだ。
 父親がカートレースをやっていた影響で、モータースポーツは小さい頃から身近な環境にあり、6歳からポケバイを始めた川口。その後、10歳になるとレーシングカートに転向するのだが、当時はまだジュニアに対する環境が整っておらず、しばらくは練習に明け暮れる日々が続いた。しかし、その甲斐あって15歳の誕生日を迎えるとすぐにデビューし、いきなり7位入賞を果たす。その後、さまざまなカテゴリーを経て、2000年まで名門チームのワークスドライバーとして起用され、全日本カート選手権の最高峰、FSAクラスに挑んでいた。
 その一方で18歳になるとフォーミュラへの転向も視野に入れていたが、資金の問題もあり、カートレースでの活動に専念。長くやり続けることも考えたものの、やはり夢断ち難く2001年からは全くのプライベート体制で、フォーミュラトヨタにスポットではあるが、参戦するようになった。そして、今年を勝負の年と考え、いよいよル・ボーセ・モータースポーツに移籍し、フル参戦を決意。開幕戦こそリタイアに終わったものの、第2戦では4位に、そして第3戦で9位につけた後、レース経験のある筑波でついに才能を開花させた。
 決して饒舌ではないが、内に秘めた闘志は誰より強い。まさに眠れる獅子が目を覚ましたのは間違いないだろう。不言実行型のドライバーの躍進に今後注目される。
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