Formula TOYOTA


Press Release

2004エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ第10戦・鈴鹿
_/_/_/2004 ESSO FORMULA TOYOTA SERIES ROUND 10 SUZUKA
  • 鈴鹿サーキット東コース/20周
  • 予選:11月27日(土)晴れ/ドライ/観客数:未発表
  • 決勝レース:11月28日(日)晴れ/ドライ/観客数:22,000人

後半戦伸び調子の嵯峨宏紀が、30戦目の卒業レースで初優勝!
ポール石浦、チャンプ安岡は、それぞれ無念の結果に……

新チャンピオン安岡は、凱旋レースに栄光のゼッケン1をつけて挑む
 ここ数年の恒例となっているとおり、エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズの最終戦は、トヨタモータースポーツフェスティバルのプログラムのひとつとして開催される。もともとは富士スピードウェイで行われていたが、来春のリニューアルオープンに向け、現在は改修中であるため、昨年に引き続き鈴鹿サーキットの東コースが舞台となった。
 東コースとは、グランドスタンドを備える方のショートコース。ダンロップコーナーの先に設けられたショートカットをクリアすると、シケインを通らずに次に現れるのは、いきなり最終コーナー。そのため、普段のフルコースで用いるよりコーナーのR(角度)が小さくなり、しかも先の見づらい、いわゆるブラインドコーナーになってしまう。したがって鬼門になりがちなのは、過去のレースで多くの例が残されている。全体に抜きどころが少なく、ようやく1コーナーでなんとか……といったところか。したがって、いつもの鈴鹿でのレース以上に予選が重要視されることとなる。
 この最終戦を待たずして、5勝目を挙げた安岡秀徒がチャンピオンに輝いているのはご存知のとおり。F3へのステップアップが濃厚となっているだけに、これが最初で最後の凱旋レースとなる。そこでゼッケンも、それまでの62番から栄光の1番へ改めての出場となった。トヨタ関係者の目に触れる機会がいつに増して多いレースであるだけに、安岡に限らず最高のパフォーマンスを見せることが大いに期待された。


長いトンネルから脱出? 石浦が1年ぶりのポールを奪う
 昨年は予選、決勝をその日のうちに併せて行う、いわゆるワンデイレースとしての開催だったが、今年は予選を練習走行とともに土曜日に行い、決勝のみ日曜日に行われることとなった。慌ただしいタイムスケジュールから解放された一方で、練習走行での手応えがなまじインターバルが短いだけに、良くも悪くも大きく影響を及ぼすのは必至だった。
 そのことを考慮してか、普段は長らくピットで待機して様子を見るシリーズ上位陣も、今回ばかりは計測が開始されて3分が経過した頃には、すべてコースに入っていた。もちろん、安岡もその例に違わずも、実はやや不安を抱えての走行になっていた。練習走行で最終コーナー、2コーナーで2度のコースアウトがあり、十分な走り込みができていなかったのが、その理由。マシンにはダメージがなかったのが何よりだったが、走りには今ひとつ精彩を欠き、なかなか56秒を切ることができない。それとは対照的にアタック4周目に50秒876をマークしてトップに立っていたのは石浦宏明。練習走行でもトップタイムをマークして勢いが持続されているのを明らかにするとともに、このところ続いていた長いトンネルからの脱出を宣言した。
 その後、それぞれのドライバーはピットに戻って、負担の大きい左側のタイヤ2本を交換。改めてタイムアタックにかかる中、50秒745をマークして一躍トップに立ったのは、前回2位の嵯峨宏紀。しかし、それから間もなく石浦が50秒623、50秒541と好タイムを連発して、もちろんのことトップに返り咲く。
 一方、安岡だが、50秒台にあと一歩と迫り、間もなくベストタイム更新かと思われた、その直後、最終コーナーでコントロールを失ったクルマが目の前を横切る不運が! かろうじて接触を回避するも、これで2周をロス。チェッカー寸前に50秒938をマークしたものの、今季自己ワーストの6番手に留まってしまう。
「予選でまさか目の前をクルマがビュンと横切るなんてこと、想像なんてできませんからね。あれで2周は損してしまいました。それより朝の練習走行をコースアウトしたせいで、しっかり走れなかったことが、ちょっとどころかかなり尾を引きましたね。予選はぶっつけ本番みたいな感じになっちゃったし……。でも、見る方は面白いんじゃないですか? 5台ぬいてきますから、このコースでも絶対! 明日の朝になってコンディションが大幅に変わっちゃったら、分からないですけど(笑)。まぁでも、チャンピオン決めた後のレースですからね、見せ場作ってみせますよ」と、安岡は落胆の様子を見せるより、決勝への意気込みを強く強調した。
 ポールは昨年の最終戦以来となる石浦が獲得し、2番手は嵯峨。安岡との間には高井美豪と阿部翼、そして水谷大介が割って入り、関口雄飛は7番手、大嶋和也は9番手という結果に。不振が続く関口、大嶋は未だ突破口を見出せずにいるよう。「これといった問題はない」と揃って口にするが、タイム的には平凡なレベルに留まった。
「今年最後のレースなんで、監督と喧嘩もしつつ(笑)、僕のわがままを思いっきり聞いてもらいました。去年も東コースではポールだったし、ちょっと狙っているところがこれまで違っていたんで、昨年のセットに近いところに改めてもらったんです。ピットに入る前も良かったし、出てからはなお良し……という感じです。去年はスタートを失敗して勝てなくて。今年また同じ失敗はしたくないんで、ここのスタートがうまい先輩ドライバーにいろいろ教えてもらったら、問題点が分かりましたので、きっと今度はうまくいくと思います。最後ぐらいいい思いをさせてもらわないとね(笑)」と石浦。今年はまだ一度も上がっていない表彰台、しかもその頂点を狙っていることを力強く宣言した。

なんと安岡がスタートできず、いきなり波乱の展開に!
 天候に恵まれ、しかもスタンドは超満員。ファイナルステージには最高のシチュエーションが整えられていた。それぞれが集中力を高めてスターティンググリッドを離れ、1周のフォーメイションラップに向かっていく。ところが、それから間もなく予想外の光景が! なんと安岡がゆっくりとピットに戻ってきたのだ。トラブル発生は間違いない。が、ピットスタートでもレースに出られる状態なのか。しかし、無情にもレッドシグナルは点灯し、レースがスタート。それから間もなく安岡はコクピットを離れた。
「1速ギヤが半分に割れてしまいました。フォーメイション、出ていってすぐ。走りはじめたら1速を使わないコースなので、2速が生きていればスタートしようかと思ったんですが、反動でそっちも駄目になってしまって。いろいろ作戦を立てていて、絶対トップに立つつもりだったから、すごく悔しい!」と安岡。「製品不良なのは明らかなんですが、ここまで一度もメカニカルトラブルなく10戦戦ってきたのに、まさか最後の最後でこんなことになろうとは」と、安岡以上にメカニックが肩を落とし、合わせて謝罪の意を述べていた。
 話をレースの方に戻そう。宣言どおり絶妙のスタートを決めてトップに立ったのは石浦。これに嵯峨が続いて、3番手は阿部。高井はスタートに失敗して水谷にも抜かれ、5番手へと後退してしまう。2周目に入るとトップ争いは完全に一騎討ち。阿部以下はやや差を広げられてしまう。また、3周目に入って間もなく1コーナーで大嶋がコースアウト、何とかコース復帰なったが、最後尾まで後退することに。
 そして、冒頭で鬼門になりそうと触れた最終コーナーは、予選までもアクシデントが相次いだが、決勝でも4周目、ついに牙を剥いた。4番手の水谷がダートに足を落とし、砂をコースに撒いてしまう。水谷は何とか姿勢を保ったが、完璧にとばっちりを食らう形となったのが続く高井と関口だ。砂に乗って高井はコントロールを失い、ガードレールにヒット。その際、巻き込まれてしまった関口はリヤウィングを曲げてしまう。また水谷は再び最終コーナーでミスして失速した後、1コーナーでも飛び出して万事休す。
 相次いだハプニングにより、3番手の阿部は単独走行となり、4番手に浮上した山下雅之が藤井敬士と武田雄一、大瀧賢治、仮屋善行を従えた。しかし、最終コーナーでのハプニングはこれにて留まらなかった。8周目に藤井がコースアウトし、スポンジバリアをコース上に押し出してしまう。先のクラッシュからわずか4周後、もしオフィシャルによる回収作業が遅れていれば、二次災害が起こっていた可能性も。幸い、ことなきを得るが。即座に赤旗が出されてレースは中断される。


再スタートが分けた明暗。チャンピオンから気を送られし者が笑う!
 第2パートは7周目の通過順でグリッドが決し、11周のレースとして仕切り直されることとなった。せっかく嵯峨に対して約1秒のマージンを築いていただけに、石浦の落胆たるや、いかがなものだったか。逆にわずかながら離されつつあった嵯峨にとっては、再スタートは絶対のチャンス。その気分を後押しするかのように、すでにリタイアしているチームメイトの安岡が、嵯峨のグリッドに駆け寄り、きつく手を握りしめた。「気を送るぞ!」と安岡。その後、武田のもとにも駆け寄り、同じようにきつく手を握りしめる。
 これが功を奏したのか、嵯峨が絶妙のスタートを切って石岡を従える。武田もまた大瀧に続く5番手に浮上。「最初のスタートでクラッチを完全に使いきってしまい、低い回転でミートさせるしかなかった」と石浦は出遅れの理由を語る。しかし、フォーミュラトヨタ参戦3年目、これが30戦目となる嵯峨は初めてトップを走るとは思えぬ安定感を見せ、徐々に石浦との差を広げていく。3周目にはマージンが1秒2にも拡大。一方、石浦も阿部との差を1秒としていた。
 トップ3がそれぞれ単独走行となる中、最後まで激しく争われたのが大瀧と武田による4番手。フォーミュラトヨタには初登場ながら、昨年は関西F4チャンピオンに輝いているだけあって、大瀧もなかなか粘りの走りを見せる。だが、武田も一瞬の隙を見逃さなかった。最終ラップの2コーナーで武田が大瀧を抜いて4番手に浮上することとなった。
 なお大嶋は7位でゴールしたものの、関口は5周目のコースアウトが響き、10位でのフィニッシュがやっと。その結果、ランキング2位は大嶋が獲得し、関口が3位に。初優勝を飾った嵯峨は武田に対し、あと3ポイントが足らず、ランキングでは5位に留まることとなった。決勝レース後にはシリーズ年間表彰式が行われ、ランキング上位陣が表彰されるとともに、合わせてチャンピオン安岡のF3スカラシップも発表。すべてのライバルに先駆けて安岡のステップアップが決定した。


WINNER'S COMMENT
「30戦目の奇跡です。今回は僕がいいトコ全部取りですね!」(嵯峨)
「30戦目の奇跡です。自分で言っちゃいます(笑)。ただ、ラッキーだったのは事実ですね。最初のレースでは完全についていくことができませんでしたから。それが赤旗になって、やり直しとなってくれて……。2回目のフォーメイションで石浦君がスタート練習をしているんですが、音はするのに全然ホィールスピンをしていなかった。『もしかしたらクラッチ終わっているのかな』なんて思っていたら、やっぱりそう! とにかくレースがやり直しになったからには、スタートに集中しようと思っていましたが、これまでで最高のスタートを切ることができました。初優勝の実感というやつですか? 正直いってあまり湧かないんですが、嬉しいには嬉しいですよ。これですっきりF3に行けます。いい時に勝てて良かった。今回は僕がいいトコ全部取りですね。(安岡からの)気ですか? ええ、送られてきました。妄想やら雑念やら、いろんなものが全部伝わってきましたよ(笑)」

WINNER'S PROFILE
F3ステップアップの手土産は、卒業レースの優勝によって
嵯峨宏紀(Kohki Saga)生年月日:1983.4.25 出身地:愛知県
 フォーミュラトヨタ初参戦からちょうど3年、30戦目にして初優勝を飾った嵯峨宏紀は、結果がどうあれ今季最終戦をファイナルレースとする予定であった。シリーズ中盤から表彰台に上がり続け、著しい成長ぶりを見せた嵯峨ではあったが、優勝だけにはあと一歩のところで恵まれず。それはチームメイトでもある安岡秀徒という強烈な存在がいたからでもあるが、安岡のリタイアによって舞い込んできたチャンスを確実にものにし、卒業レースで優勝を飾ることとなった。
 嵯峨のモータースポーツデビューは99年で、中学卒業と同時にカートレースを始める。この年にはSLカート愛知シリーズに出場し、1勝を挙げてランキング3位に。2000年には中部カート地方選手権に出場、最上位を5位としてランキングでは12位となる。01年にはヤマハカートチームに所属し、全日本カート選手権西地域でFAクラスに出場。最上位は2位ながら、ランキングでは36位に留まった。
 そして02年に免許取得と合わせ、フォーミュラトヨタにデビュー。しかし、過去2年間はシリーズランキング15位、7位とあって、それほど目立ったドライバーとは言い難かった。それが今年からル・ボーセモータースポーツに移籍すると、本来の実力を引き出されることとなり、前半戦はミスも多かったが、上位を走れる存在へと変貌。そして、前述のとおり第6銭からは5戦連続で表彰台に上がるまでとなった。
 後半戦の著しい成長ぶりが認められ、来季、嵯峨は現在も所属するル・ボーセからF3に出場することが正式に決定。チームにとっては久々のF3ではあるが、ドライバー育成に大いなる定評を持つことから、若き嵯峨とともに歩みを合わせ、実力を高めていくことが大いに期待されている。
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