レース結果

2007 エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ 第1戦・富士
2007 ESSO FORMULA TOYOTA SERIES ROUND 1 FUJI


富士スピードウェイ/15周
予選:4月7日(土)/曇りのち雨/ドライ〜ウエット/観客数:600人
決勝レース:4月8日(日)/晴れ/ドライ/観客数:1,500人


井口卓人がPP獲得、スタートで松井孝允がトップに立つも、勝負強さを大幅に増した国本京佑が逆転で、まず1勝!


贅を削いで、シリーズをより若手の育成ツールとして活用!
 今や18年もの歴史を誇ることとなった、エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズは2007年、大幅な刷新を図ることとなった。簡単に言えば、シリーズのスリムアップ。長らく全10戦でシリーズが争われてきたが、これを全7戦に絞るとともに、トップカテゴリーのフォーミュラ・ニッポンもしくはスーパーGTとの併催をなくしたのだ。ビッグレース開催時のレースウィークはスケジュールがぎっしり詰まり、得てして走行の機会が減ってしまいがち。
 そこに比較的スケジュールの余裕がある、スーパー耐久やF3、クラブマンレースと併せて開催することとした背景があり、なおかつレース数は減りこそしたが、より練習走行の回数は増やされている。もちろん、優秀な成績をおさめた選手に対するスカラシップも廃さず。貴重なステップアップのチャンスが与えられることは約束されている。
 06年の上位陣、5人が揃って卒業を果たし、また継続参戦のドライバーも例年より多くないことから、顔触れが大幅に入れ替わってもいるのが特徴だ。今年も激しいタイトル争いは、富士スピードウェイから幕を開ける。

気まぐれな天気に翻弄された予選、初のポールを井口が奪う
 開幕の舞台は昨年と同じでも、今年は前述のとおりフォーミュラ・ニッポンではなく富士チャンピオンレースと併せてレースが行われる。このことが何を意味するかというと、今までは絶えずフォーミュラが走り続けることによって、路面にラバーが載り続け、いわゆるラバーグリップが徐々に向上していったのだが、それが期待できないと。むしろツーリングカーのタイヤは性格が異なるため、削いでしまう傾向さえある。そんな難しい課題を誰がいち早く、完璧にこなすのか予選では注目された。
 午前中には艶やかな姿を見せていた富士山も、午後になると雲で隠れるようになり、天候も不安定な状況になる。皮肉なことにフォーミュラトヨタの予選がもう間もなく、というところで雨がついに降り始め、コクピットにおさまったドライバー全員が慌ただしく準備を開始。普段なら、計測が始まってもしばらくはピットで待機するドライバーがいるものだが、今回はそうも言っていられない。開始と同時に全車が一斉にコースイン。
 幸いにして雨はすぐにやみ、始まってすぐは2年目のドライバーが明らかに速かった。ケイ・コッツォリーノがいきなり1分44秒台に乗せ、これに続いたのは国本京佑と井口卓人。しかし、3周目になると、ルーキーもこの戦いに割って入る。真っ先に43秒台を記録したのは松井孝允。昨年の最終戦でデビューし、いきなり予選で6番手につけた岡山FJ1600チャンピオンが、またしても適応力の高さをアピールする。もちろん先輩として負けるわけにはいかないと、国本と井口も奮起。3人で激しい43秒台での攻防を繰り広げ、ラスト5分の時点で井口がトップで、松井、国本が続く。きっと、それぞれに「もうちょっと!」という意識はあったことだろう。
 だが、その直後にほぼ全車が滑り込むようにピットに戻ってくる。ヘアピンからダンロップコーナー付近で突然また雨が降り始めたからだ。ちなみに、ピットの位置するストレートでは、ほとんど雨は降っていなかったため、急な事態に首を傾げるピットクルーも。もはやタイムアップは望めない状態になっていたこともあり、ほぼ全車がピットに留まる中、予選は終了した。
 その結果、1分43秒661をマークした井口が初めてのポールポジションを獲得。しかし、ほぼコンマ1秒の間に松井、国本も並んで、決勝が激戦になることを予感させた。惜しくも43秒台突入はならなかったものの、F4、FD、FCJの経験を持つ松下昌揮が4番手、そしてアルテッツァシリーズから移行の金井亮忠が続いて、松井のみならずルーキーの健闘が光ったのとは対照的に、コッツォリーノはリヤのスタビライザーにトラブルを抱え、2周目のタイムがベストとあって6番手に留まっていた。
 「練習まで調子が悪かったので、ポールが獲れて少しホッとしています。タイム的には、もうちょっとという感じもしますが、雨に救われたというか……。本当に突然、コースの裏で降ってきたんです。これはもう駄目だってぐらい強く。あのまま最後まで降らなかったら、どうなっていたか分かりませんが、もうそろそろ勝たないとヤバいので良かったです」と井口。

スタート決めたルーキー松井、序盤には逃げ足の速さを見せる
 予選の後、いったん雨はやんだのだが、夜になってまた降り始め、コースを早朝まで濡らしてしまう。フォーミュラトヨタの決勝は午前10時からとあって、微妙な路面状態も覚悟の上だったが、さわやかな春の日差しが瞬く間にコースを乾かすこととなった。
 開幕ダッシュは、王座獲得の重要な要素。この2年間、開幕戦を制した大嶋和也、関口雄飛が勢いを最後まで保ってチャンピオンを獲得している。これに続けるか井口、後方には「スタートを決めて1コーナーにはトップで飛び込みます」と口を揃えた松井と国本が控えている。注目のスタート、レッドシグナルが消えるのと同時にうまくクラッチをミートさせた井口だが、回転が合わず車速の伸びに欠け、慌てて脇をかいくぐろうとする松井を牽制するも、ハンドル一直線で加速する松井を抑えることができず。一方、その後方では国本もスタートに失敗。いったん4番手に後退するが、その後の対処は冷静、ヘアピンで先行を許した松下を、そしてダンロップコーナーで井口をかわして2番手に返り咲く。
 いきなり勃発した激しい2番手争いの間に、松井は1秒6ものリードをオープニングの1周だけで築き、3周目にはファステストラップ、1分44秒236をも叩き出す。依然、国本と井口の2番手争いは続いており、やや置いて松下とコッツォリーノの4番手争いも激しさを増していたこともあって、ムードとしてはそのまま逃げ切る感が濃厚だった。

松井のミスを一瞬でも逃さず。成長著しい国本が逆転で初優勝
 しかし、トップを快走する松井が6周目のヘアピンでオーバーラン。コースアウトこそ免れたものの、一気にマージンを吐き出してしまう。「シフトミスしただけじゃなく、その時にオーバーレブも」とあって、その後はエンジンの伸びにも欠くように。そんな松井のワンミスを国本は逃さなかった。続くストレートをコンマ3秒差で駆け抜け、7周目の最終コーナーでインを刺して並んだままストレートを駆け抜けていく。そして、8周目の1コーナーでブレーキング合戦を繰り広げ、ついに国本がトップに躍り出る。
 その後、松井は井口に、そして11周目には松下にもかわされ、4番手に後退。もちろん、その間にも激しく国本と井口によってトップが競われ、同時に3番手争いは松下、松井、コッツォリーノの三つ巴へと変化する。レースも終盤に差し掛かり、タイヤも相当きつくなっているはずだが、それぞれミスを犯さずバトルには緊張感がみなぎっていた。結局、以降の順位変動はなく、国本が辛くも井口を抑え抜いて初優勝。井口はスタートの出遅れが最後まで尾を引くこととなってしまった。
 一方、フォーミュラトヨタ初戦を3位で飾ったのが松下。「3位という結果じゃ満足できませんが、1週間前に(出場が)決まって練習もほとんどできなかったことを思えば、今年は勝負権ありだと実感しました」と安堵の様子。逆に勝てるレースを落とした松井は、「速さを見せられたのに自分が弱くて、こんな結果になってしまいました」と悔やむことしきりだった。
 なお、コッツォリーノに続いて6位でゴールしたのは増田定臣ながら、再車検で指定外のエンジンプラグが装着されていたことから失格の憂き目に。これにより、東徹次郎以下の順位が繰り上がることとなった。

ウィナーズコメント
「スタート以外、ほぼノーミス。この調子でいきたいですね!」(国本)

 「スタートは言っていたのとは逆で、完全に失敗しました(笑)。いったん4番手まで落ちちゃったんですけど、前がやり合ってくれたから、僕はすぐ2番手に上がれて、その後ちょっと様子を見ていました。どうも松井君はヘアピンでミスしちゃったみたいですね。それで差を詰めることができ、8周目にはトップに立てました。僕はスタート以外、ほぼノーミス。すごく冷静にレースすることができたと自分でも思います。やっと勝てたので、なんとかこの調子でいきたいですね!」

ウィナーズプロフィール
成長著しく、誰にも勝る勝負強さ。このまま続くか快進撃!

国本京佑(keisuke Kunimoto) 生年月日:1989年1月9日 出身地:神奈川県

 予選こそ3番手だったものの、冷静なレース運びを決勝で見せ、逆転優勝を飾った国本京佑。フォーミュラトヨタのフル参戦は今年で2年目となるが、これが初優勝で過去において表彰台に上がったことが一度しかないとは、到底思えぬほどの勝負強さを見せた。
 カートの神様と呼ばれた李好彦氏を伯父に持ち、父親も全日本カーターだったことから、ジ ュニアカートに出場したのも96年、7歳からと早熟だったものの、その後アルペンスキーを競技として本格的に挑んでいた。だが、スピードの魅力からは逃れられず、01年にカートレースでの活動を再開。その翌年にはジュニアカート選手権でランキング2位となり、その余勢を駆って初めて挑んだ全日本選手権ではICAクラスで3位に。そして、O4年にはFAクラスでチャンピオンに輝く。また、この年はFTRS(フォーミュラトヨタレーシングスクール)を受講してTDP(トヨタヤングドライバーズプログラム)スカラシップを獲得。レース出場には年齢が満たなかったため、05年はフル参戦こそならなかったものの、じっくり修行を積んで06年にはいきなりのブレイクが期待された。
  ところが、第2戦で2位入賞を果たすが、その後はきっちり入賞こそ重ねるも表彰台には届かず。ランキングも7位に留まってしまう。そのため、TDPとの契約も打ち切られるが、そんな逆境から国本は這い上がってきた。ハナシマレーシングに移籍するとともに、このオフに体力、そして精神面の鍛錬を行い、著しいスキルアップを果たすことに。その結果、併せて出場することとなったFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)では目下4戦2勝で、もちろんランキングのトップに。その自信がフォーミュラトヨタにも結びついたのは間違いない。


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