レース結果

2007 エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ 第2戦・鈴鹿
2007 ESSO FORMULA TOYOTA SERIES ROUND 2 SUZUKA


鈴鹿サーキット/12周
予選:5月12日(土)/晴れ/ドライ/観客数:9,500人
決勝レース:5月13日(日)/晴れ/ドライ/観客数:12,000人


ケイ・コッツォリーノが初のポールを獲得 しかし、初優勝は阻止して国本京佑が逆転で開幕2連勝!


舞台はフォーミュラの聖地・鈴鹿に。続くか国本の快進撃
 今年のエッソ・フォーミュラトヨタシリーズは全7戦で争われ、富士スピードウェイで開催された開幕戦には16人の若手ドライバーたちが集結していた。その特徴といえば、シリーズにおける優勝経験が誰にもないこと。過去のウィナーたちは、揃って卒業を果たしたからだ。いわば本命不在の状況において、予選でトップタイムをマークしたのは井口卓人。もちろん、初めてのポールポジション獲得となった。その井口とて2年目のドライバーであり、それほどプレッシャーに苛まれていたとは思い難い。
 だが、勝利の女神は若者たちに、さまざまな試練を与えたがっているようだ。井口がわずかにスタートに出遅れたのに対し、ここでトップに躍り出ることとなったのは、ルーキーである松井孝允。また、井口同様、予選3番手の国本京佑もまたスタートに失敗していたが、オープニングラップのうちにふたつ順位を上げ直してもいた。必死に逃げようとする松井だったが、レース中盤に痛恨のシフトミス。その際にオーバーレブをも喫し、エンジンが本調子ではなくなってしまう。これに乗じてトップに国本が立ち、そのまま逃げ切ることとなった。松井は井口だけでなく、松下昌揮にも抜かれて無念の4位。その松下はレース数日前に参戦が決まるというタイトロープ状態を経て、フォーミュラトヨタ初レースで表彰台に上っている。
 ある意味、誰も100%満足のいく状態ではなかった。それが開幕戦におけるもうひとつの特徴だ。その中で国本が一番理想に近い展開としたことになるが、きっとポールポジションからスタートしていれば、もっと大量のリードを築いて逃げ切り、より鮮烈なアピールができたと思っているはずだ。さて、第2戦の舞台は鈴鹿サーキット。フォーミュラの聖地とも呼ばれ、このコースはかつてF1ドライバーをも唸らせた難攻不落の要塞でもある。ここで理想のレースができたならと、間違いなく誰もが思い描いている。それは国本なのか、はたまた……。

一発勝負を制したコッツォリーノが、初のポールを奪う
 金曜日の練習走行では、国本が2回のセッションともにトップ。天気に恵まれていたことから、1回目から2回目にかけてほぼ1秒のタイムアップを果たしていたが、2回目は強い追い風がストレートに向かって吹いていたのが、やや気になるところであった。加えて第2戦と併せて行われるのはスーパー耐久レース。開幕戦の富士チャンピオンレースほどではないにせよ、性格の異なるタイヤのラバーが、そう著しく路面状態を向上させたとは思い難い。まして予選の行われた土曜日は風がおさまった上に、気温も上昇。
 そんな懸念が適中した上に、計測開始と同時に走行を開始した車両にコースアウトが相次ぎ、路面は撒かれた砂によってひどく汚されてしまう。有力どころはピットで待機していたというのに、せっかくの我慢はこれで水の泡と化す。と同時に、アタックチャンスが一回きりとなるのは明らかだった。そんな厳しい条件を、誰よりクリアしたのがケイ・コッツォリーノだ。「少しオーバーステア気味にセッティングを振っていたので、最初から一発狙いでした。予想以上にコースが汚れていたから不安がなかったわけじゃないけど、ニュータイヤのグリップに助けられたって感じですね」とコッツォリーノ。タイヤのウォームアップをアウトラップの1周だけで済ませ、完全な状態にしておいたことが功を奏し、2分7秒997をマークして、その段階でのトップに浮上する。
 そのコッツォリーノも次のラップで接触があり、フロントウィングを傷めていたが、マシンそのものにダメージはなかったのは不幸中の幸い。それどころか路面状態の悪化は徐々に進んでいったことから、先のタイムを誰も上回ることができず、初めてのポールポジションを獲得することともなった。2番手につけたのは増田定臣ながら、あと一歩のところで8秒台を切ることはできず。それでも初のフロントロー進出だ。3番手は国本、「気温が思った以上に上がった上に、路面があんなに汚れているとは。完全にタイミングを誤ってしまいました」と語るが、その表情にがっかりした様子は微塵にも感じられず。開幕戦の勝利がよほど自信に結びついているのは間違いない。
 4番手は松下が、そして5番手は稲垣智彦が獲得。そして開幕戦で見せ場を作った井口は6番手、松井は8番手に甘んじていた。ここからどう決勝で這い上がってくるかも、注目すべきポイントのひとつである。

初めてトップを走るとは思えぬ威風堂々ぶり
 週半ばまで、日曜日は雨が降ると告げられていたのが、まるで嘘のように決勝当日はさわやかなコンディションとなっていた。もっとも土曜日には予報も手を返したかのように、午後には晴れ間も見えるようになると告げ直していたのだから、あながち誤りとは言い切れないが。結果的に決勝レースは今年初めて、20度を超える気温の中で行われた。
 ポールシッターのコッツォリーノは、スタートもそつなく決めて1コーナーへのホールショットに成功。それ以上に絶妙のダッシュを見せたのが国本だ。ここでまず増田をかわして2番手に躍り出る。その後方では、まず松下がポジションキープを果たしたが、稲垣は完全に出遅れ、下位集団に飲み込まれてしまっていた。代わって松下の背後につけたのは白坂卓也と松井、そして井口だ。コーナーをひとつひとつクリアするたびに2番手争いが激しくなっていくのは、トップのコッツォリーノにとって好都合だった。その結果、オープニングラップだけで1秒2のリードを確保。これが3周目まで保たれた。
 しかし、4周目に差し掛かると、コッツォリーノと国本のタイムが逆転する。後続を引き離すことに成功した国本が、勢いそのままにトップにも迫ってきたからだ。とはいえ、コッツォリーノもコンスタントにタイムを刻み続けるとともに、コンマ差にまで接近してきた国本を要所要所で抑えて逆転を許さず。父親がイタリア人で、母親が日本人のハーフであるコッツォリーノは両国の気質である豪快さと繊細さを兼ね備えているのかもしれない。およそその威風堂々たる走りは、初めてトップにつけたとは思えぬほどだった。
 一方、そのコッツォリーノ、そして国本からは離されてしまったとはいえ、後方では激しいバトルが繰り広げられていた。松井こそ3周目のデグナーでコースアウトし、大きく順位を落としていたが、チームメイトの井口は特に絶好調。予選のうっぷんを晴らすかのようにペースと順位を上げて、やがて4番手を走る松下の背後にまで迫ることに。だが、勢い余ってしまった間もなきにしもあらず。このふたりは二度に渡る接触で、後に順位を落としたからだ。これで後方からのストレスから解放されたのか、3番手を走る増田がこのレースにおけるファステストラップを6周目に叩き出すこととなった。

またしても国本はトップのワンミスを見逃さず。秀でた集中力!
 だが、トップを快走するコッツォリーノにも、魔の時が訪れてしまう。8周目の最終コーナーであろうことか痛恨のシフトミス。3速から4速にシフトアップする際の、ほんの少しの失速を国本は見逃さなかった。思い起こせば、開幕戦でもこういったワンチャンスを国本はものにしてきたのだ。続くストレートでコッツォリーノの背後につけ、1コーナーでスリップストリームから抜け出して……。もはやコッツォリーノに反撃する術は残されていなかった。「あれは僕の今の甘さ。悔しいけど、それは認めざるを得ない」とコッツォリーノ。
 この間に増田の接近を許したが、コッツォリーノも残る力のすべてを振り絞って、再び抜き去られることだけは頑に阻止。だが、国本に対する抵抗もまた許されはしなかった。またしても勝負強さを見せた国本は、これで開幕2連勝。ランキングのトップもひた走り続けている。コッツォリーノと増田に続いて4〜6位でゴールしたのは、いずれもFJ1600出身のルーキー。白坂、そして安達元気、中村信也の順でポイント獲得に成功した。
 次回のレースはツインリンクもてぎが舞台。果たして国本の快進撃は、このまま続くのか。大いに注目されるところである。

ウィナーズコメント
「ついていければ、チャンスもいずれ生まれると思っていました」(国本)

 「まずはスタートが決まって、そこで1台を抜くことができました。今回、テスト練習はすごくして、決勝の直前までやっていましたから、自信もあったんです。最初のうちはケイ君が速かったんですけど、ついていければ、チャンスもいずれ生まれると思っていました。走行しているうちに差も少しずつ詰まってきたところに、向こうがミスしてくれたんで僕は抜くことができました。これで2連勝。今度はポール・トゥ・ウィンといきたいですね!」

ウィナーズプロフィール
追いかける獲物は絶対に逃さない。これが国本の勝ちパターン

国本京佑(keisuke Kunimoto) 生年月日:1989年1月9日 出身地:神奈川県

 とにかく勝負強い。これが2戦を経た後の国本京佑に対する率直な印象だ。フォーミュラトヨタにおいて、まだポールポジションにもなっていないし、ファステストラップも記録していない。なのに開幕から負け知らず。こと決勝では誰より濃い内容の展開としているだけに、こうなれば、ポールから逃げたならどんなレース運びを見せるのかと、いろいろと想像を巡らせてしまう。
 父親も全日本カーターだったことから、モータースポーツはごく身近な環境。だから、ジュニアカートに出場したのも96年、7歳からと早かった。一時ブランクはあったが、01年にカートレースでの活動を再開し、その年にはジュニアカート選手権でランキング2位に。その余勢を駆って初めて挑んだ全日本選手権ではICAクラスで3位となり、O4年にはFAクラスでチャンピオンに輝く。また、この年はFTRS(フォーミュラトヨタレーシングスクール)を受講してTDP(トヨタヤングドライバーズプログラム)スカラシップを獲得。レース出場には年齢が満たなかったため、05年はフル参戦こそならなかったものの、じっくり修行を積んで06年にはいきなりのブレイクが期待された。
 ところが、第2戦で2位入賞を果たすが、その後はきっちり入賞こそ重ねるも表彰台には届かず。ランキングも7位に留まってしまう。そのため、TDPとの契約も打ち切られるが、そんな逆境から国本は這い上がってきた。ハナシマレーシングに移籍するとともに、このオフに体力、そして精神面の鍛錬を行い、著しいスキルアップを果たすことに。その結果、併せて出場することとなったFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)でも、ランキングのトップを邁進し続けている。


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