平手 晃平選手
皆さんこんにちは。TDP事務局のフクです。
今回は『プレイバック編』と言う事で、TDPドライバーがフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受けた当時の事を振り返ったり、いくつかのエピソードを紹介したり、TDPドライバーの素顔の一端を皆様にお伝えしたいと思います。
と言う事で、『プレイバック編』の第1回目となる今回は、まずはスカラシップ第2期生である平手晃平君の紹介をしたいと思います。
晃平君と言えば、昨年のフォーミュラ・ニッポン(FN)第5戦・鈴鹿ラウンドの第2レースで、FN初優勝を果たした際、カメラに向かって雄叫びを上げ、表彰台ではシューマッハ顔負けの大ジャンプを見せるなど、嬉しい時は喜びを爆発させ、悔しい時は涙を見せる。そんなスポーツマンらしい所が魅力であり、多くのファンの方々に感動を与えられるのだと思っております。
去年のスーパーGT開幕戦では、GTと言うレースの特殊性から開幕戦で思いがけず苦戦を強いられた晃平君、開幕戦が終わった後のチーム控室では、自分のやったレースに悔しさが込み上げて人目もはばからず涙していました。その悔しさが5月のGT、そしてFNでの優勝に繋がったのだと思います。特にFNにおいて130Rで本山選手をオーバーテイクしたシーンは、ファイター平手晃平の真骨頂だったのではないかと思います。
そんな晃平君、ファンの皆さんの前で涙を見せたことはないと思いますが、その昔ヨーロッパへ渡る前のFT時代、3回ほど晃平君の涙を見たのを覚えています。
彼が当時十勝(北海道にある十勝インターナショナルスピードウェイ)で開催していたFTRSを受講しに来たのは、まだ高校1年生の15歳の時のことでした。そこでまだ免許も持っていない晃平君が鮮烈な走りを見せ、その年のスカラシップを獲得し、翌年のフォーミュラトヨタ(FT)への参戦を決めることとなりました。
そして、2002年のFTシーズンインを前にCP MINEサーキット(当時)で行っていたトレーニング走行でのこと。少し濡れた路面をスリックタイヤで走行中、縁石に足を取られてクラッシュしてしまいました。これが晃平君の4輪(レーシングカートに対してこのように呼びます)での初クラッシュでした。
その時のロガーデータで確認したところ、衝突時のスピードは約100km!15歳の少年には少し衝撃が大きかったのと、悔しさが込み上げポロリと涙が頬を伝って行きました。
まだ初々しさの残るFT時代の晃平君(2002年)
そして2回目は、同シーズン中盤鈴鹿サーキットでのレースの時でした。この時はマシントラブルから頑張ってもどうにも出来ず、決勝を7番手で終えることになってしまい、悔しさからポロリと・・・
そして3回目、これは富士でのシーズン最終戦での事。実は晃平君、この前日の練習走行でクラッシュ。本人に大きな怪我はなかったものの、一応大事を取って病院に行くくらいのクラッシュでした。当然マシンの修復作業は深夜にまで及ぶことになりましたが、スタッフが修復してくれたそのマシンで、翌日の雨中の予選で晃平君は見事にポールポジションを獲得しました。
そこで、スタッフの苦労に報いることが出来た晃平君、嬉しくて思わず涙が込み上げて来ていました。まだその後に決勝レースがあるので、そこで泣くのはまだ早いのですが、そこはしっかり者の晃平君、その後の決勝レースでもしっかり優勝しました!
この年、TDP(当時はこの名称ではありませんでしたが)ドライバーとして、初の限定Aライセンスドライバーとなった晃平君は、総得点ではこの年のチャンピオンを上回りながらも、有効得点で惜しくもチャンピオンを逃してしまいました。しかし、シーズン4勝を挙げると言うセンセーショナルなデビューシーズンで、4輪ドライバーとしての第一歩を踏み出したのです。ちなみにこの年の16歳2カ月での優勝は、現在でも日本の4輪界での最年少優勝記録ではないかと思います。
そして、その年の活躍が認められた晃平君は、その年のオフシーズンに単身ヨーロッパに渡る事になりました。小牧から出発のその日、名古屋駅の新幹線ホームでは、まさに戦地へ送り出すかのように親戚や後援会(晃平君にはまだ無名のFT時代から「平手晃平後援会」なるものがあり、その頃よりたくさんの方の期待を受けて戦っていました)総出のお見送りを受けて、双方涙々の旅立ちだったそうです。ちなみに私はその場には居なかったので、そのシーンは見てはいないのですが・・・
そして、着いたその日にお付きの日本人スタッフ達は帰ってしまい、1人ポツンと残された所から始まったヨーロッパで5年間を過ごした晃平君、出発時には英語はおろか日本語も拙かったくらいでしたが、イタリア、ドイツで過ごすうち、英語はもちろんイタリア語や、ドイツ語も多少分かる程に!今では私の英語に「発音が変〜」などと言うようになりました。
このように現在では語学堪能な晃平君ですが、当時愛知県内の工業高校に通っていた現役高校生だった晃平君は、国語が少し苦手だったようで、ある文章を書いた時のこと、「最悪」を「さいやく」、「チャンピオン」を「チャンピョン」と書いていました・・・(もちろん今は大丈夫です)
ちなみにヨーロッパではこんな話もありました。トヨタF1チームの本拠TMGがあるケルンに、日本人が経営している日本料理屋があるのですが、私がヨーロッパに行った時に、そこの顔馴染みとなっていた晃平君と一緒に行った時のお話です。
そこでお店の人とヨーロッパの卵の話になった時のことです。『卵かけご飯』が好きでヨーロッパでも日本と同様に『卵かけご飯』を食べていた晃平君。
晃平君「ぼく毎日生卵買って来て卵かけご飯食べてますよ!」
店員「えっ!?こっちの卵は生で食べると危ないよ!」
(ヨーロッパでは、生卵でサルモネラ菌による食中毒が発生したりすることがあるそうです。)
晃平君「えっー!?そうなんですか!?僕今までずっと生で食べていましたよ・・・」
この日以来晃平君は、4年間食べ続けてきた『卵かけごはん』をヨーロッパでは食べなくなったそうです。今更と言う感じではありましたが・・・(笑)
話がちょっと横道に逸れましたが、私も晃平君がヨーロッパに居る間に、何度かヨーロッパに行き、その際に晃平君の運転する車で色々と彼の生活環境を見せてもらいましたが、ヨーロッパ事情にもすっかり通じていて、随分と逞しく見えたものでした。
随分大人びたヨーロッパ時代の晃平君(2006年)今よりちょっと顔がホッソリしているでしょうか?
そんな晃平君が昨年、日本に久し振りに帰って来て、国内でのレースを戦いましたが、期待通りの活躍を見せてくれる中、もてぎで大クラッシュを演じてしまい、そのまま病院直行となり入院の憂き目となってしまいました。相当痛い思いをしたと思いますが、悪いことばかりでもなかったようで・・・若くて顔もイケてる晃平君、晃平君見たさに若い看護師さんが、入れ替わり立ち替わり晃平君の元を訪れ、まんざらでもなかったようです。あくまで噂ですが・・・
まぁでも、いくら看護師さんに良くされても、こちらの心臓に良くないので、是非とも今後はあんなクラッシュはなしと言う事でお願いします。
そして、これからも嬉しい時は喜びを爆発させ、悔しい時は涙を流す、そんなストレートな感情表現でファンの方々に感動を与えられるレーサーであって欲しいと思います。
次回の「プレイバック」は石浦宏明選手の特集を予定しています。
【TDP情報】
大嶋和也 『Toyota Motor sports Network』出演
6月1日(月) 19:30〜20:00生放送!
詳しくは、フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)ホームページ
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