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開発責任者が語る環境への想い 86チーフエンジニア 多田 哲哉 発売日:2012.04、取材日:2012.04

トヨタのスポーツカーの歴史は、モータリゼーションが進んだ1960年代に遡ります。1963年に鈴鹿で開催された「第1回日本グランプリ」で、当時のトヨタ・コロナ、トヨタ・パプリカが圧倒的な強さを見せ、それを機に国内にはスポーツカーという新たなニーズが誕生しました。こうした中、1965年に発売された「ヨタハチ」の愛称で親しまれたトヨタ・スポーツ800は軽量・コンパクト・低燃費を武器にモータースポーツで活躍し、そして、1968年に発売した国産初の本格スポーツカートヨタ2000GTは3つの世界記録と13の新記録を達成した、日本が世界に誇るスポーツカーとして今でも圧倒的な支持を受け続けています。
しかし、1990~2000年代にかけ、ユーザーのクルマ志向が多様化し、多人数で乗れるミニバンや燃費のいいコンパクトカーに人気が集まり、スポーツカーは次々と生産中止となりました。トヨタも2007年のMR-S生産終了とともにスポーツカーは一時的に途絶えることになります。
現在、若者のクルマ離れが指摘されるなか、夢や憧れを再びクルマに回帰させるためには、クルマの本来の魅力である「運転する楽しさ」を極限まで追求するとともに、環境や時代のニーズにも応えた、新しいスタイルを提案することが必要です。そうした強い想いのもと、2012年4月、最新技術を使って新時代のニーズに応えるスポーツカー「86」を発売しました。開発責任者は、学生時代よりモータースポーツに熱中し、トヨタ社内のチーフエンジニアでは唯一のS2運転資格を持つ多田哲哉。その多田が86の環境性能を語ります。

※プロフィール
86チーフエンジニア 多田 哲哉
  • 所属: スポーツ車両統括部ZR
  • 略歴: 大学を卒業と同時にコンピューターシステム開発のベンチャー企業を起ち上げ、その後、1987年トヨタ自動車入社。入社後、ABSの電気評価やスポーツABSなどの新システム開発を担当し、1993年にはドイツでWRCラリー用のシャシー制御システム開発等に従事。1998年には、bB、ラウム、ファンカーゴの企画に従事し、その後、ラウム、パッソ、2代目bB、ラクティス、2代目WISH、アイシスのチーフエンジニアとしてプロジェクト全体を取りまとめる。2007年3月、新たなスポーツカー開発の責任者として、スポーツモデル全般の企画統括に携わり、スバルと共同で86を開発。

現代に相応しいスポーツカー、そこには確かな環境性能が必須条件

スポーツカーにおける環境性能をどのように捉え、開発に取り組んでいますか。

86の開発が始まった2007年、トヨタはMR-Sの生産を終了し、トヨタのスポーツカーが一時的に途絶えた時期でした。私はその頃、チーフエンジニアとして2代目WISHを開発中でしたが、何の予告もなく役員に呼ばれ、「スポーツカーを作れ」という指令を受けました。実は直前の役員会議で、若者の自動車離れを止めるには王道のスポーツカーを避けていてはダメだという議論があったそうです。任命後、世界中のカーガイに意見を聞き、結論に至ったのがAE86のような「みんなに育ててもらえるスポーツカー」でした。

「86」という名前を聞いて懐かしく思われるのは、クルマ好きな40代以上の方でしょうか。1983年に発売された5代目カローラ/スプリンターのスポーツモデルとして派生した「カローラレビン/スプリンタートレノ」は、車両型式番号がAE86で、今なお"ハチロク"として人気を集め、現在でも状態の良い車両はプレミア価格で取り引きされるほどの人気車種です。当時のハチロクは発売以来、ユーザーやさまざまなチューナーが多くのチューニングパーツを開発しながら、彼らの手によって名車となった、まさにユーザーの手で名車に育った数少ないスポーツカーです。

今回の新型スポーツカーに86の名を冠するのは、ハチロクが持っていたスポーツカーとしてのソフトウェアをしっかり継承するという想いを込めています。ハードへのこだわりはもとより、いかにして今の時代にフィットしたスポーツカーを提案するか、その中にはもちろん環境性能が必須条件として存在していました。
折りしも、86の企画が始まった2007年は、欧州委員会が自動車メーカーに対し、CO2排出の大幅削減を義務づける規制案を提出した時期でした。そして、2012年は欧州CO2規制が2019年の完全実施に向けて段階的に始まっています。スポーツカーだからといって環境性能で妥協できない、むしろ「FUN TO DRIVE」を象徴するスポーツカーだからこそ、果たさなければならない使命、その一つが環境に配慮したクルマづくりです。
そもそもスポーツカーは環境に良い車なのです。スポーツカーに必要な車体の軽量化、空力性能の追及、エンジンの高効率化は、いずれも燃費に良い要素となります。

左から、スプリンタートレノ(AE86)、トヨタ・スポーツ800、トヨタ2000GT

86が目指す環境性能の原点はトヨタ・スポーツ800

スポーツカーの環境対応を検討するうえで参考にしたクルマはありますか。

数値性能ではなく、走る楽しさを多くのドライバーに味わってもらう、それが86というスポーツカーの考え方です。今回、スバルとの共同開発が実現し、水平対向エンジンを使ったFR車をやるということが企画段階に決定しました。そして、水平対向FRでスポーツカーを開発するという前提に立った時、最初に調べたのがトヨタ・スポーツ800でした。
このクルマこそ、水平対向エンジンにFRレイアウトを組み合わせた世界唯一のパッケージに、徹底的な空気抵抗の低減と軽量化を施した“ライトウェイトスポーツ”と呼べる1台で、当時としては先進的過ぎましたが、現代に求められる条件を全て満たしているスポーツカーです。軽量・コンパクトで燃費の良いトヨタ・スポーツ800は、環境性能の側面でも理想の条件を持ち合わせています。
当時、このクルマが多くの耐久レースで輝かしい記録を樹立できたのも、ずば抜けた燃費のおかげで、給油回数が少なかったことが一つの要因なのです。

軽量化は燃費の他にも、資源の節約、運動性能や乗り心地の向上につながるので、環境の視点だけでなく、クルマを開発するうえでとても重要な取り組みです。
空気抵抗は、スピードに比例して大きくなり、エンジンへの負担を大きくします。特に高速道路では、風の抵抗が想像以上に大きく、街乗りで燃費が同じ程度のクルマ同士でも、高速道路を走行すると空気抵抗の差が燃費の差として現れます。
スポーツカーが求める走行性能を高めながら環境性能も高める。一見、トレードオフの関係にある2つのミッションを実現できる可能性がここにあったのです。

実は環境性能が高い86

では具体的に86の環境性能について教えてください。

まず、水平対向エンジンは、新世代に切り替わる時期で、パワーと燃費を両立するには非常に素性の良いエンジンでした。86が目指す新世代スポーツカーを実現するためには最高の素材といえます。
このエンジンをベースに燃費を向上させるためには、低回転できちんと走るためのトルクを確保する必要があります。そのためには、燃料噴射系にトヨタの直噴技術「D4-S(Direct injection 4 stroke gasoline engine Superior version)」を融合させることが必要でした。
採用されたのは既存のD4-Sではなく、86と3月に発売したレクサスGS-HVに初採用された次世代バージョンのD4-Sです。D4-Sは、燃料を燃焼室に直接噴射する筒内直接噴射と、吸気ポートに噴射する通常のポート噴射を、運転状況に応じて最適に制御する専用ツインインジェクターを備えたシステムで、広い回転数で高出力・大トルクを引き出すとともに、高い環境性能を両立します。次世代D4-Sでは、噴射圧力の増大、噴霧改良により燃費・出力性能を進化させています。

次世代D4-Sを搭載した水平対向4気筒直噴DOHCエンジン

カタログに、「1mmでも低いスポーツカーをつくれ!」とキャッチコピーを書いていますが、開発スタッフの中では同様に、「1gでも軽いクルマをつくれ!」が走行性能を高めながら環境性能を向上するための軽量化のスローガンでした。
ボデーの骨格には『高張力鋼板(ハイテン)』と呼ばれる材料を約50%採用し、さらにセンターピラーやルーフ、サイドレールには、より薄くて強度の高い『超高張力鋼板』を採用しています。1トン級の超高張力鋼板を採用したのは、86と1月に発売したレクサスGSだけです。
また、フェンダーの薄板化やエンジンフードのアルミ化等の常套手段に加え、防音材を減らす事でも徹底した軽量設計を実現しています。

ボデー骨格の約50%に採用された高張力鋼板

アルミ材を使用したエンジンアンダーカバー

空力性能については、従来のダウンフォース(走行中の車を地面に押さえつけようとする空気の力)を重視する考え方を一歩進め、空気の流れを利用して上下左右からクルマを挟み込む発想「エアロハンドリング」を採用しています。
気流に渦を発生させ、車体を上下・左右から押さえつけるエアロスタビライジングフィンの設置やルーフ中央を窪ませたパゴダルーフ、床下面に設けた微細な突起は、空気抵抗を悪化させる事なく安定した走りを実現しています。ちなみに、空気抵抗係数を示すCd値は、トヨタ車ではプリウスに次ぐ0.27を示しています。

こうした様々な取り組みにより、86は200psという最高出力ながらJC08モード燃費は12.4~13.4km/Lを達成しています。乗っていただくと分かると思いますが、次世代D4-Sは燃焼効率が良いので、タウンスピードでも6速走行で安定して走っていただくことができ、高速走行でも最適な空力性能を発揮するので、実燃費の良さを実感していただけると思います。

走行・環境にベストバランスのプリウスタイヤを着装

他にも環境性能を向上させる取り組みはありますか。

走行性能とともに環境性能にも大きく影響するのがタイヤです。ご存じない方も多いかもしれませんが、86に採用しているタイヤはプリウス(Sツーリング)と同じものを標準装着タイヤとしています。理由は、エコ性能はもちろん、グリップ性能、ハンドリング性能、乗り心地のすべての性能がバランス良く整っていたからです。
「タイヤに頼らない」事を掲げ車両開発をしてきましたので、ハイグリップ(=燃費が悪い)に頼ることなく走行性能を確保する事ができています。

遊びグルマならではの遊び心で環境に対応

ハード面以外で環境に貢献する工夫やシステムはありますか。

86はいわば趣味グルマです。こうした趣味グルマは、クルマの性能が高いだけで若い方たちがクルマを購入することはありません。そうした背景もあり、86の開発コンセプトの一つに、「もっと今までのスポーツカーとまったく違う遊び方の提案」というものがあります。もちろんこの構想は、環境にも貢献する提案内容です。

クルマは、多数のコンピューターが搭載されており、それぞれの情報をやりとりするため、CAN(Controller Area Network)通信と呼ばれる国際基準のプロトコルを採用しています。つまり、このデータは走行データすべてを記録したもので、たとえばUSBメモリにこのデータを抜き出し、指定のゲームソフトにこのデータを読み込むと、自分が走ったクルマのスピードやハンドルの切り方、ブレーキの踏み方などが全部分かります。自分の走り方が分かるということは、何を直せばよりうまく走れるか、何に注意すればもっと燃費が良くなるかのヒントが分かり、ムダにガソリンを使ったり、サーキット走行で余計なサスペンション交換などが必要なくなるなどの効果が期待できます。通勤や通学にこの機能を使うと究極のエコガイドもできます。これは、バーチャルなシミュレーションがもたらす環境配慮の一例です。

86のようなクルマで"エコ"というと違和感があるかもしれませんが、私は86ユーザーには、月曜から金曜は究極のエコ運転のバトルをやっていただき、そして、週末はクルマをサーキットに持ち込み、平日に貯めたエコ走行の積み立て分を使って86を存分に楽しむ、そんな世界観もあるのではないかと思っています。86はドライバーが環境を意識した運転をすれば、驚くほど良い燃費を記録するはずです。

今回の86開発プロジェクトは、トヨタが今一度スポーツカーに挑戦することで、環境と楽しさの大きな両輪をつくり、トヨタのクルマメーカーとして姿勢を広く世界にアピールすることだと考えています。このクルマに込められたトヨタの熱い想いは、世界のクルマ好きの心を熱くするだけでなく、環境意識の高いお客様にもきっと満足いただけると思っています。