Formula TOYOTA


Press Release

2003エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ第10戦(最終戦)・鈴鹿
_/_/_/2003 ESSO FORMULA TOYOTA SERIES ROUND 9 SUZUKA
  • 鈴鹿サーキット・東コース:20周
  • 予選:11月23日(日)晴れ/ドライ
  • 決勝レース:11月23日(日)晴れ/ドライ/観客数:20,000人

後半戦のヒーロー、池田大祐が3連勝、年間最多4勝目を飾る!
小林可夢偉は無念のリタイア、3位でゴールの中嶋一貴が王座に

初めてのポールを石浦宏明が獲得、ポイントリーダー中嶋は7番手と低迷
 タイトル争いを最終戦にまで持ち越した、エッソ・フォーミュラトヨタ・シリーズ。年間10戦にもおよぶ長き戦いの総決算となるべきレースは、トヨタ・モータースポーツ・フェスティバルのプログラムとして組まれ、普段以上に多くのトヨタファン、そして関係者の見守る中で開催された。舞台は前回同様、鈴鹿サーキットながら、グランドスタンドを備える東コース。このショートコースでフォーミュラトヨタが競うのは初めてとあって、いつもとはやや趣きの違ったレースとなることも予想された。
 しかしながら、並びはともかくとして上位陣の顔ぶれは、ほぼ順当だったと言えるだろう。予選での攻防戦は51秒台からやがて50秒台へと移り、わずか20分の計測時間のうちに順位は目まぐるしく入れ替わった。最初に50秒台に叩き込んだのは、ここまで2連勝で勢いづく池田大祐だったものの、それから間もなく石浦宏明が逆転し、50秒881をマーク。勢いあまって、次の周のショートカットでスピンを喫するもダメージは一切なく、そのままピットへ。同じ頃、川口慶大と小林可夢偉も50秒台に入れるが、石浦、池田のタイムは上回れず。その後、ほぼ全車がピットに戻り、負担の大きい左側のタイヤを入れ替える。
 となれば、当然さらなるタイムアップが各自期待されたものの、オイルがコース上に撒かれてしまい、コンディションは悪化。その結果、石浦にとっては幸運にも逃げ切りなり、初めてのポールポジションに輝くことになった。
「練習走行から調子が良かったので、実は手応えは十分にあったんです。ベストタイムを出した周はクリアラップも完璧にとれました。でも、本当はその次の周の方がもっといい感じだったんですが、ショートカットでスピンしちゃいまして。ただ、それでも抜かれない自信はありました。最終戦ですからね、決勝レースでは勝ちます!」
 そう力強く語っていたのは、もちろん石浦だ。なお、1番手は池田で、3番手は川口。一方、一騎討ちでチャンピオンを争い合う、小林と中嶋一貴はやや低迷ぎみで、小林こそ4番手に留まったものの、リヤのスタビライザーが折れていたという中嶋は7番手に。もし、決勝レースでもこのポジションが保たれれば、小林が逆転でチャンピオンとなる。が、それでは済まされないようなムードもただよっていた。なお、小林と中嶋の間に割って入り、5〜6番手につけたのは嵯峨宏紀と下山征人。このふたりの動向もタイトル争いを左右しそうだ。


池田がまたしても決めたスーパースタート。石浦、中嶋を寄せつけず
 今回のレースは予選、決勝レースを1日で行う、いわゆるワンデイレースとなっていた。そのため、予選終了後からわずか3時間足らずのインターバルで決勝レースが行われた。満員のスタンドの上を見上げれば、すばらしい青空が目に飛び込むほどに、最高のコンディションとなっていた。
 注目のスタート。ここでまたしても絶妙のスタートを切ったのは2番手の池田。このところ何度も見てきた風景だ。一方、タイトルを争うふたりは好対照なスタートを切っていた。中嶋が石浦に続く3番手に浮上したのに対し、小林は川口に抜かれて5番手に後退していたからだ。このままのポジションであれば、中嶋のチャンピオンが決定する。
 さて、チャンピオンの獲得権利はすでに失われているが、トップの池田には今季最多勝の期待がかかっている。後続の順位などおかまいなしに、2周目にはひとり早々と51秒台に入れ、逃げの構えに出始めた。また、中嶋は石浦を必死に攻め立てるも、石浦のガードも固く、そして少しも隙を見せない。小林もまた川口を抜いて早い段階で中嶋をとらえてしまいたいところだが、はやる心が3周目の最終コーナーの脱出速度を鈍らせ、逆に1コーナーで嵯峨にかわされてしまう。4周目になるとトップの池田、2番手を争う石浦、中嶋、川口、そして5番手を争う嵯峨、小林、下山といった具合にグループは明確に分かれていた。
 しかし、5周目に差し掛からんとする最終コーナーで嵯峨が痛恨のスピン。これで9番手にまで後退してしまう。この好機に5番手に浮上して、再び川口に迫った小林だが、8周目のストレートではエンジンから異音が。その段階では誰がトラブルを抱えたのか確信は得られなかったが、答えはすぐに出た。次の周には白煙を吹き上げ、失速する小林の姿があったからだ。万事休す……、と同時に、これで中嶋のチャンピオンが決定した。
「勝って(チャンピオンを)決めたかった」から、中嶋がこれで守りに入ったわけではなさそうだが、相変わらず石浦も隙を見せることなく、なかなか前に出ることを許されない。それどころか逆に差は広がっていき、後続の川口が差を詰めてきた。だが、その川口は16周目の最終コーナーでスピン。これで中嶋は前を追いつめることだけに専念できたはずなのだが……。
 結局、オープニングラップから上位3台のポジションは変化なく、20周を走りきることに。池田が3連勝、そして目標としていた今季最多勝の4勝目を得ることとなった。石浦に次いで3位でゴールした中嶋は、もちろんのことチャンピオンを獲得。
 なお、4位でゴールは下山。ラスト2戦に出場し、前回よりひとつポジションを上げた。5位は最後まで嵯峨の猛攻を退けた下田浩太郎。今季最後のレースで自己ベストの結果を残していた。


ROUND8 WINNER'S COMMENT
「これで楽しいシーズンオフを過ごすことができます!」(池田大祐)
「狙っていたスタートも決まって、とにかく序盤は必死にプッシュしました。そのせいで、後半に少し前後バランスが悪くなってペースを落とさざるを得なかったんですが、ちょっと差を詰められるだけで済みました。今回も落ち着いてレースができましたし、今は最高の気分です。これで楽しいシーズンオフを過ごすことができます。来年のことは、間もなく発表できそうです!」

ROUND8 WINNER'S PROFILE
来年はF3で大暴れ!「自分の持てる力を全て出し切れるよう、頑張ります」
池田大祐(Daisuke Ikeda)生年月日:1982.11.10 出身地:東京都
 先のコメントにもあるとおり、池田大祐が間もなく発表できると語った、来年のこと。それがレース後に行われたシリーズ表彰式で明らかになった。『トヨタF3スカラシップ』により、F3へのステップアップが決定したのである! 第6戦で初優勝を飾り、続くレースでこそ2位に留まったものの、ラスト3戦を3連勝。今季最多勝と、後半戦の他を圧倒する勢いが、高く評価されたのは間違いない。
 そんな池田の、実際のモータースポーツデビューはもちろんのことカートレース。98年から始め、2000年には地方選手権に進出して関東東地区でシリーズ3位。翌年には全日本選手権にも挑むとともに、現在所属するザップスピードのドライバーズオーディションに合格。チーム加入から、最も短期間で目覚ましい成長を遂げ、それをきっかけに02年にフォーミュラトヨタに参戦。それ以前には01年のFJ日本一決定戦に出場したことがあるだけなのに、開幕戦富士ではいきなり3位入賞を果たしている。
 さて、フォーミュラトヨタで鮮烈デビューを遂げた池田だが、コンスタントに入賞を重ねるものの、次に表彰台に立つこととなったのは第9戦の鈴鹿での2位。なかなか優勝には恵まれず、ランキングは6位。
 待望の初優勝は今年の第6戦。これがもう少し早かったら、今年のシリーズ展開はまた異なったものとなっていただろう。しかし、ランキング3位に留まってもなお、この高評価。F3でも通用するドライバーだと認められたことの証こそ、スカラシップの獲得ではないか。なお、来季の所属チームは現時点では未定。しかし、それもまた間もなく明らかになるだろう。

CHAMPION'S COMMENT
「トータルで言えば、最高のシーズンでした。来年はもっと!」(中嶋一貴)
「勝って決めたのではないから、あまりチャンピオンの実感はないんですが、後でじんわり来るんでしょうね、明日とか。決勝ではスタートがまず決まって3番手に。可夢偉が直接後ろにいたわけではないので、それほど意識はしませんでしたね、もちろんランキングのこととか、ポイントのことも。それより前にもっともっと行きたかった。まぁ、今回は予選が悪かったんで仕方ないのかもしれませんが。今年は最初が良かったのに、途中でハマってしまって……。でも、そういった苦労もいろんな意味で、今につながっているし、いろいろ勉強になりました。トータルで言えばいいシーズンでした。応援していただいた方すべてに、今はすごく感謝しています」

CHAMPION'S PROFILE
目標は偉大なる父親を超えること。来季はF3進出決定、伝説を作るか?
中嶋一貴(Kazuki Nakajima)生年月日:1985.1.11 出身地:愛知県
今年のフォーミュラトヨタ開幕戦が4輪レースのデビュー戦だったにもかかわらず、いきなりポールポジションを獲得し、3戦連続でその座につけた中嶋一貴。緒戦こそスタート直後の遅れで2位に留まったものの、第2戦で早々と優勝し、2勝目となる第3戦ではついに一度たりともトップの座を明け渡さず逃げ切りを果たすことともなった。キャリアの短さを微塵にも感じさせず、特に雨の中の走りは父親の中嶋悟氏の全盛時を彷佛とさせもした。3勝目を挙げた第7戦もまた、ウェットコンディションだっただけに……。
 そんな中嶋のカートレースのデビューは96年。翌年から鈴鹿選手権シリーズを戦い、98年にはICAクラスでシリーズ2位に。翌年には同クラスでチャンピオンを奪い、2000年にはFAクラスにステップアップ。ここで2位に輝いた後、01年には全日本選手権にも挑むこととなり,02年にはFA クラスで3位を獲得している。そして、この年2回目の受講となる、フォーミュラトヨタレーシングスクールで実力を高く評価され、エッソFTスカラシップを獲得して今日に。
 第4戦では唯一のリタイアを喫し、第6戦では5位に留まりこそしたが、残る8戦では3勝を含み表彰台に上がり続け、極めて高い安定感がチャンピオン獲得の原動力になったのは間違いない。誰よりもシーズンを通じ、強いドライバーだったことはチャンピオンの資格も十分。
 常に口にする目標は「偉大なる父親を超えること」。所属するチームは今のところ未定ではあるが、『トヨタF3スカラシップ』によって、F3への進出がこのほど決定。新たなる挑戦の舞台で、父親を超えるような伝説を次々と打ち立てることを期待したい。
© 2007 TOYOTA MOTOR CORPORATION, All Rights Reserved.