皆さんこんにちは。TDP事務局のフクです。
日本では車の潤滑油メーカーとして知られ、スーパーGT、フォーミュラニッポン、F3でトムスをサポートしているマレーシアの国営企業『PETRONAS』。
トムスのスポンサードも今年で2年目となり、このコーナーを読んで頂いている皆様も「ペトロナスカラー」と言えば、鮮やかなエメラルドグリーンが頭に浮かぶのではないでしょうか?
大嶋和也君が今年のフォーミュラニッポンの開幕戦に、本当に頭に「ペトロナスカラー」を乗せて登場したことは皆様既にご存じかと思います。
私も最初見た時には、「あれは誰?」と驚きましたが、皆さんの中にも驚いた方は多いのではないかと思います。
鮮やかな?『ペトロナスカラー』でFN開幕戦のパドックに登場した和也君
さて、和也君のこの今年の髪の色、「2年振りの復帰でインパクトが欲しかったの?」と思った方や、「昨年まで行ってたUK(英国です)の流行りなの?」などなど、皆さん様々な推測をされたのではないかと思いますが、いえいえ!あんな色の頭はロンドンにもそうはいません・・・
では何故あの様な髪の色になったのかと言うと、真相は以下の通りだったようです。
今年のフォーミュラニッポンをTOM'Sで走っている和也君。サーキット以外でも監督である舘さんと同じ時間を過ごすことが多くなっています。
以下和也君の髪が「ペトロナスカラー」になるまでの流れです。
そこは舘監督の馴染で、和也君もその関係で1度行ったことのある散髪屋さんでした。
舘監督 「大嶋、俺が予約しといてやったから髪切りに行って来い!どうやって仕上げてくれと
言うのも言ってあるし、金も払ってあるから行くだけで大丈夫!」
和也君 「はぁ、分かりました・・・。有難うございます。」
と言う訳で、散髪屋さんへ向かった和也君。
散髪屋さんで椅子に座ると、和也君がオーダーすることもなく、事は進んで行きました。
何をするのか分からないまま、まずは緑色にする下準備として、髪の色を抜き金髪になったそうです。
そしてシャンプーをする時、シャンプーを入れている容器が緑色だったらしいのですが、店員さんが「これくらいになるかな〜」と。そこで和也君も自分がどのようになるかを察し、終わった時にはあの色になっていたそうです。
Before
GT開幕戦の時
この時はまだ普通の髪色でした。
After
FN開幕の時 「ペトロナスカラー」にアップデート?
もちろん監督兼チームオーナーである舘さんに文句など言えるはずもありません。これは、舘監督の虐待?・・・ではなく、もちろん和也君への期待と愛情の表れです。(だと思います)
メインスポンサーと同じ色の髪にした和也君が、髪の色のように派手な活躍をして、早く表彰台に立つ姿を見たいものです♪
ところで、同じペトロナスカラーで走っている、F3の井口君や雄資君もいずれ「ペトロナスカラー」になるのでしょうか・・・??
【TDP情報】
大嶋和也 『Toyota Motor sports Network』出演
6月1日(月) 19:30〜20:00生放送!
詳しくは、フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)ホームページ
平手 晃平選手
皆さんこんにちは。TDP事務局のフクです。
今回は『プレイバック編』と言う事で、TDPドライバーがフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受けた当時の事を振り返ったり、いくつかのエピソードを紹介したり、TDPドライバーの素顔の一端を皆様にお伝えしたいと思います。
と言う事で、『プレイバック編』の第1回目となる今回は、まずはスカラシップ第2期生である平手晃平君の紹介をしたいと思います。
晃平君と言えば、昨年のフォーミュラ・ニッポン(FN)第5戦・鈴鹿ラウンドの第2レースで、FN初優勝を果たした際、カメラに向かって雄叫びを上げ、表彰台ではシューマッハ顔負けの大ジャンプを見せるなど、嬉しい時は喜びを爆発させ、悔しい時は涙を見せる。そんなスポーツマンらしい所が魅力であり、多くのファンの方々に感動を与えられるのだと思っております。
去年のスーパーGT開幕戦では、GTと言うレースの特殊性から開幕戦で思いがけず苦戦を強いられた晃平君、開幕戦が終わった後のチーム控室では、自分のやったレースに悔しさが込み上げて人目もはばからず涙していました。その悔しさが5月のGT、そしてFNでの優勝に繋がったのだと思います。特にFNにおいて130Rで本山選手をオーバーテイクしたシーンは、ファイター平手晃平の真骨頂だったのではないかと思います。
そんな晃平君、ファンの皆さんの前で涙を見せたことはないと思いますが、その昔ヨーロッパへ渡る前のFT時代、3回ほど晃平君の涙を見たのを覚えています。
彼が当時十勝(北海道にある十勝インターナショナルスピードウェイ)で開催していたFTRSを受講しに来たのは、まだ高校1年生の15歳の時のことでした。そこでまだ免許も持っていない晃平君が鮮烈な走りを見せ、その年のスカラシップを獲得し、翌年のフォーミュラトヨタ(FT)への参戦を決めることとなりました。
そして、2002年のFTシーズンインを前にCP MINEサーキット(当時)で行っていたトレーニング走行でのこと。少し濡れた路面をスリックタイヤで走行中、縁石に足を取られてクラッシュしてしまいました。これが晃平君の4輪(レーシングカートに対してこのように呼びます)での初クラッシュでした。
その時のロガーデータで確認したところ、衝突時のスピードは約100km!15歳の少年には少し衝撃が大きかったのと、悔しさが込み上げポロリと涙が頬を伝って行きました。
まだ初々しさの残るFT時代の晃平君(2002年)
そして2回目は、同シーズン中盤鈴鹿サーキットでのレースの時でした。この時はマシントラブルから頑張ってもどうにも出来ず、決勝を7番手で終えることになってしまい、悔しさからポロリと・・・
そして3回目、これは富士でのシーズン最終戦での事。実は晃平君、この前日の練習走行でクラッシュ。本人に大きな怪我はなかったものの、一応大事を取って病院に行くくらいのクラッシュでした。当然マシンの修復作業は深夜にまで及ぶことになりましたが、スタッフが修復してくれたそのマシンで、翌日の雨中の予選で晃平君は見事にポールポジションを獲得しました。
そこで、スタッフの苦労に報いることが出来た晃平君、嬉しくて思わず涙が込み上げて来ていました。まだその後に決勝レースがあるので、そこで泣くのはまだ早いのですが、そこはしっかり者の晃平君、その後の決勝レースでもしっかり優勝しました!
この年、TDP(当時はこの名称ではありませんでしたが)ドライバーとして、初の限定Aライセンスドライバーとなった晃平君は、総得点ではこの年のチャンピオンを上回りながらも、有効得点で惜しくもチャンピオンを逃してしまいました。しかし、シーズン4勝を挙げると言うセンセーショナルなデビューシーズンで、4輪ドライバーとしての第一歩を踏み出したのです。ちなみにこの年の16歳2カ月での優勝は、現在でも日本の4輪界での最年少優勝記録ではないかと思います。
そして、その年の活躍が認められた晃平君は、その年のオフシーズンに単身ヨーロッパに渡る事になりました。小牧から出発のその日、名古屋駅の新幹線ホームでは、まさに戦地へ送り出すかのように親戚や後援会(晃平君にはまだ無名のFT時代から「平手晃平後援会」なるものがあり、その頃よりたくさんの方の期待を受けて戦っていました)総出のお見送りを受けて、双方涙々の旅立ちだったそうです。ちなみに私はその場には居なかったので、そのシーンは見てはいないのですが・・・
そして、着いたその日にお付きの日本人スタッフ達は帰ってしまい、1人ポツンと残された所から始まったヨーロッパで5年間を過ごした晃平君、出発時には英語はおろか日本語も拙かったくらいでしたが、イタリア、ドイツで過ごすうち、英語はもちろんイタリア語や、ドイツ語も多少分かる程に!今では私の英語に「発音が変〜」などと言うようになりました。
このように現在では語学堪能な晃平君ですが、当時愛知県内の工業高校に通っていた現役高校生だった晃平君は、国語が少し苦手だったようで、ある文章を書いた時のこと、「最悪」を「さいやく」、「チャンピオン」を「チャンピョン」と書いていました・・・(もちろん今は大丈夫です)
ちなみにヨーロッパではこんな話もありました。トヨタF1チームの本拠TMGがあるケルンに、日本人が経営している日本料理屋があるのですが、私がヨーロッパに行った時に、そこの顔馴染みとなっていた晃平君と一緒に行った時のお話です。
そこでお店の人とヨーロッパの卵の話になった時のことです。『卵かけご飯』が好きでヨーロッパでも日本と同様に『卵かけご飯』を食べていた晃平君。
晃平君「ぼく毎日生卵買って来て卵かけご飯食べてますよ!」
店員「えっ!?こっちの卵は生で食べると危ないよ!」
(ヨーロッパでは、生卵でサルモネラ菌による食中毒が発生したりすることがあるそうです。)
晃平君「えっー!?そうなんですか!?僕今までずっと生で食べていましたよ・・・」
この日以来晃平君は、4年間食べ続けてきた『卵かけごはん』をヨーロッパでは食べなくなったそうです。今更と言う感じではありましたが・・・(笑)
話がちょっと横道に逸れましたが、私も晃平君がヨーロッパに居る間に、何度かヨーロッパに行き、その際に晃平君の運転する車で色々と彼の生活環境を見せてもらいましたが、ヨーロッパ事情にもすっかり通じていて、随分と逞しく見えたものでした。
随分大人びたヨーロッパ時代の晃平君(2006年)今よりちょっと顔がホッソリしているでしょうか?
そんな晃平君が昨年、日本に久し振りに帰って来て、国内でのレースを戦いましたが、期待通りの活躍を見せてくれる中、もてぎで大クラッシュを演じてしまい、そのまま病院直行となり入院の憂き目となってしまいました。相当痛い思いをしたと思いますが、悪いことばかりでもなかったようで・・・若くて顔もイケてる晃平君、晃平君見たさに若い看護師さんが、入れ替わり立ち替わり晃平君の元を訪れ、まんざらでもなかったようです。あくまで噂ですが・・・
まぁでも、いくら看護師さんに良くされても、こちらの心臓に良くないので、是非とも今後はあんなクラッシュはなしと言う事でお願いします。
そして、これからも嬉しい時は喜びを爆発させ、悔しい時は涙を流す、そんなストレートな感情表現でファンの方々に感動を与えられるレーサーであって欲しいと思います。
次回の「プレイバック」は石浦宏明選手の特集を予定しています。
【TDP情報】
大嶋和也 『Toyota Motor sports Network』出演
6月1日(月) 19:30〜20:00生放送!
詳しくは、フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)ホームページ
皆さんこんにちは。TDP事務局のフクです。
毎年恒例のGWの富士GT!これを読んで頂いている方の中にも、ご来場になっていた方はいらっしゃるかと思います。
今話題のインフルエンザの影響もあって、もしかしたら来場者が落ち込むのでは・・・と心配していましたが、雨に降られることもなく、ETC割引も追い風になったか、主催者発表では決勝日だけで5万人の来場があったとのことです。有り難いことですね。
皆さま渋滞の中無事にご帰宅されたでしょうか?ご来場された方々お疲れ様でした。
さて、決勝日のそんな来場者の中に紛れて国本京佑君が現れました。実は京佑君、前日から来ると弟の雄資君に言っていたらしく、前日「予選の前には来るって言ってたんですが・・・」と言う雄資君の言葉も虚しく、結局予選日には現れませんでした。
明けて月曜日、「きっと今日も渋滞で諦めて来ないでしょ。」と言う私の言葉に、雄資君が「来ますよー!」というやりとりがあった後、昼頃にパドックに姿を現しました。
ヘアースタイルをモディファイして現れました
私「雄資が昨日から来るって言ってたけど?」
京佑君「いやー、来ようと思ってたんですけど寝坊しました。」
かなりゆっくりめの起床だった様です・・・
そして、何をするかと思ったら自分のデジカメで、パドック名鑑でも作るのかな?と言うくらいメカニック・スタッフ・ドライバーと、色々な人と記念撮影をしまくっていました。

スタートドライバーではないとは言え、
コースイン10分前の雄資君にシャッターを押させる京佑君です
グリッドでも
FCJで共に戦ったイゴール選手を交えて
一応真面目に(?)古巣であり、雄資君の走るaprの車の様子を見たりもしてました
しかし、完全私服だった京佑君、ヘアースタイルが変わっていたこともあってか、この日はパドックでもグリッドでも全く呼び止められることはありませんでした。私服だと結構皆気付かないものですね。
そして、スタート前に別れた京佑君にこの日2度と会うことはありませんでした。記念撮影しに来たのかな・・・?
【TDP情報】
大嶋和也 『Toyota Motor sports Network』出演
6月1日(月) 19:30〜20:00生放送!
詳しくは、フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)ホームページ
|