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11月15〜18日、中国マカオで「F3世界一決定戦」と呼ばれるマカオ・グランプリが行われる。同レースは今年54回目を迎えるアジアきってのクラシック・イベントで、中国広東省南部マカオ半島の港湾都市であるマカオ(1999年までポルトガル領)で第1回大会が行われたのは1954年(昭和29年)。鈴鹿サーキットにおける第1回日本グランプリ開催が1963年(昭和38年)であるから、マカオGPはアジア・オセアニア地区ではきわめて古いレース・イベントとなる。古くから「東洋のモナコ・グランプリ」の異名を取っているのは、マカオがカジノや歓楽街を有する海に面したリゾート地であり、レースが観光事業となっているなどモナコと共通項が多いことがその理由である。発足当初の出場者は、マカオ、香港在住のポルトガルやイギリスの軍人、フィリピンなど近隣諸国の富豪などが多く、メイン・イベントのグランプリはフォーミュラカーやツーリングカーが混走するなど草創期の混沌ぶりが目についたが、やがてヨーロッパや日本から高性能マシンを伴っての実力派ドライバーの参戦が続くようになり、レースとしての体裁も整って行く。 |
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初期の混沌状態が収束したのはメイン・イベントが1.6リッター・フォーミュラに限定された1970年代半ばから。ヨーロッパから当時の現役F2ドライバー、時にはF1ドライバーも参戦し、この頃からマカオは“世界も注目するローカル・イベント”となった。1.6リッター・エンジンによるFP(フォーミュラ・パシフィック)規定が発足した1977年、日本からも長谷見昌弘、星野一義、藤田直広ら国内トップドライバーが積極的にマカオを目指し、トヨタ(2T-G)、日産など国産エンジン搭載車がグリッドに並んだ。1982年には長谷見がポールポジションを奪うなど優勝に限りなく近づいたこともあったが、FP規定が終息する1982年までの日本人ドライバー最上位は2位であった。以下に、表彰台に登った日本人ドライバーを挙げる(メイン・イベントのフォーミュラのみ)。 |
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1969年 |
3位 加藤爽平 三菱コルトF2C |
1971年 |
2位 大久保力 ブラバムBT23・アルファロメオ |
1980年 |
2位 長谷見昌弘 マーチ79B・ニッサン |
1981年 |
2位 藤田直広 マーチ81A・トヨタ |
1982年 |
3位 和田孝夫 ファルコン82P・ニッサン |
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ストレート主体の海岸区間、コーナーが連続する山側区間と、対照的な性格を持つふたつの区間が接合されたレイアウトのマカオはセッティングが難しく、また、小さなミスが大きなクラッシュとなって跳ね返ってくるため、チームとドライバーにそれ相応の経験が必要とされる。初参戦でマカオで勝ったドライバーはA・セナをはじめ数人の例があるだけで、M・シューマッハー兄弟は2年目、佐藤琢磨も3年目でようやく勝ったほど。ゆえにマカオで勝つまでには3年の猶予があると云われるが、言い換えれば4年目はない。2007年、日本人ドライバーで注目は小林可夢偉と、大嶋和也。両選手とも今年が挑戦2年目で、小林は2006年に予選レースで優勝した実績を誇る。いっぽう全日本F3チャンピオン大嶋のチームはこれまでマカオ3勝の経験を誇るトムス。二人にとって“正念場”のマカオGPとなる。 |
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11月15日(木) |
フリー走行 |
11月16日(金) |
予選 |
11月17日(土) |
予選レース (決勝レースのグリッドが決定) |
11月18日(日) |
決勝レース |
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日本人二人目のウィナー誕生に期待したい。 |
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