スペシャル対談

志が未来を拓く。

モノづくりが、次の世代に伝えられること。
日本のアニメーション映画の世界を切り拓いた宮崎駿氏と、
世界初の量産ハイブリッド車「プリウス」の開発を指揮した内山田竹志。
モノづくりを通じて社会課題にも向き合ってきた両氏が、
仕事への志や人材の育て方、テクノロジーとの向き合い方について語る。

モノづくりと向き合う志。

内山田 私は、木を削って飛行機や船、鉄道などの模型を作っているようなモノづくり少年でした。中学生の頃、スポーツカーで有名なフェルディナント・ポルシェが、国民みんなが乗れる車をとフォルクスワーゲンを作った話を聞いて、「そういう仕事がしたい!」と思いました。その後、自動車会社に入社したものの、自分が企画した車を世の中に出すような機会にはめぐり合えないまま。諦めかけていた頃、40代後半で突然「プリウスの開発をやれ」と。最初で最後のチャンスだ!と思いましたね。

宮崎 それは本当に、大変な幸運ですね。運を幸運にしたのはそれぞれの努力だろうけど、そういうチャンスにいつもぶつかるとは限らない。大したもんだと思いますね。

内山田 まずは、自分のやりたいことを思い続けていなくてはならないと思いました。宮崎さんは、いつも子供たちに夢を与えてきましたね。

宮崎 いやいや、そういうんじゃないです。世界のアニメーションが一番輝いていた時期はディズニーでも初期の頃で、1930~1940年代は手工芸的な職人たちが、実に美しいアニメーションを作ったんですよ。光が当たる部分も全部、手で描いていたわけです。今はコンピューターを使ってすぐ描けるけど、根源的に違う意味の光なんですね。そういう昔の最高峰のアニメーションを見て「こういうのを作りたい」と思って、僕らはこれ以上クオリティーを落としたら恥ずかしいという、ギリギリのところでやってきたと思います。

内山田 そういえば先日、初めてCG(コンピューターグラフィックス)を使って作っていると、テレビ番組で紹介されていましたね。

宮崎 『毛虫のボロ』ですね。毛虫の群れをいっぱい出すので、CGを使ったらいっぱい出てくるかなと思ったんです。でも結局、手で描いた方が速くて、随分描きました。

内山田 描いた方が速いんですか?

宮崎 描いた方が速いし、いい加減に描きますから情報量が増えて、ざわざわするんです。機械に任せたら形が出来上がってくるというのは嘘ですね。よく分かりました。

内山田 それはクルマづくりでも感じます。カーデザインは今、全てCGなんですが、車の曲面がきれいにつじつまが合って、どこで収束するかを、ちゃんと手で描けない人間はCGでも全然良くないですね。自分の手を動かさないと、いくら良い道具が揃っていても、表面的なものしか作れないんだと思います。宮崎さんの世界も、そうなのでは?

「毛虫のボロ」©2018 Studio Ghibli
三鷹の森ジブリ美術館(入場予約制)映像展示室「土星座」のみで上映。
上映スケジュールは美術館HPにて確認を。

宮崎 そんな精度の高い世界じゃないですよ(笑)。

内山田 でも、それだけ納得のいく仕事をしようとすると、世の中に出るものより、否定したり捨てていったものの方が、はるかに多いですよね。

宮崎 捨てたものは、またほかのところで使おうと思っているから、別に捨てている感じじゃないんですよ。ここには合わないというだけですからね。それよりも、アニメーターになったときの志があるはずなのに「それでお前の志に合ってんのか?」と頭に来ることはありますね。それで僕らは結局、鉛筆を手放さないでやっていますけど。もういい加減やめてもいいんじゃないかなと何度も思いつつ、結局煩悩のなされるままに「またやりたい」とかグズグズ言っている。それで、制作再開にあたって新人を11人も採ったんです。

内山田 そうなると、手で描ける人をどうやって育てるかというのは、かなり大きなテーマですね。

宮崎 面白いことに、新人に教えることによってスタッフが出来上がっていくんですね。初めて教えたというベテランもいたんですよ。やっぱり教えなきゃダメなんです。先生になった途端に大人になり、そこに小さなヒエラルキーが出来上がってくるんです。これからもっと(制作部門を)大きくしなくてはならないから大変なんですけど、人に教えるというのは大事なことなんですね。

内山田 でも、基本的にみなさんアニメーションが好きな人たちでしょう?

宮崎 好きというだけでは限界が来ますから、そこから先ですね。日々、何らかの発見があったり、手ごたえを感じられれば続くんだと思いますけど。

©Studio Ghibli
アトリエの入り口にあるトトロ。
トヨタ自動車試作部が、打ち出し板金加工で製作。

若い世代と共に創る未来。

内山田 以前は、先輩の仕事を見て真似したものでしたが、海外生産や会社の急成長に伴い、そうもいかなくなる。教育の仕組みを整えることによって、スキルや知識は効率よく伝えられるようになりましたが、ただ心が伝わらない。

宮崎 ええ、すごく難しいと思います。教えるスキルとは、その人の持ち物ですよね。持たないやつにいくら言っても持たないですね、僕の経験では。

内山田 でも、もたもたしていると「そんなことは人工知能に任せればいい」みたいな世界になりかねなくて。我々も研究していますが、人工知能ってロジックがないんです。

宮崎 ロジックがないんですか!

内山田 たくさんのデータを集約し、その中から良さそうな答えを選ぶんです。そうやって出てきた回答に、我々は本当に心から従えるのか。今、技術は倫理観を伴う領域に入りつつあると思うんです。例えば、歩行者をはねないと自分が崖から落ちてしまうような場合に、その判断を自動運転のシステムに委ねるのか。

宮崎 究極の二者択一ですね。どうすればいいんですか?

内山田 まだ答えは出ていないんですが、技術というものは人間の使い方次第だと思うんです。「何のための技術か」という志の部分が大切で、技術とは世の中を良くしていくためのもの。「実現させる技術を面白がってはいけない」というのが、エンジニアの戒めです。私は、当社の安全担当者に、「交通事故はゼロにできる」と言っています。その拠りどころとなっているのが新幹線で、事故が発生しやすい踏切がない。踏切があるのが常識だったはずの鉄道を、変えたんですね。ヨーロッパでは今、人、自転車、車が分かれ始めています。つまり極端な例で言えば、自動車専用道路を作れば、自動運転は簡単に実現でき、事故も起きない。

宮崎 そうすると、人間の社会というのはどうなるんでしょうね。大変哲学的な問題ですね。僕は道路というのは、みんながウロウロしてる方が良いと思っている人間だから。自分が住んでいる、ぐしゃぐしゃなところの迷路のような道(笑)。

内山田 あと、もっと車とコミュニケーションをとれないかと最近考えています。

宮崎 僕が乗っていると、「もう少し丁寧に扱え」とか「掃除しろよ」とか文句を言われそう(笑)。

内山田 工業製品でお客様から「愛」って付けてもらえるのは、車だけ。宮崎さんもシトロエン2CVにたぶん、愛を感じておられるんですよね。

対談を行った宮崎監督のアトリエ「二馬力」の前にて。「二馬力」とは、シトロエン2CVの愛称。宮崎監督は、毎日、この愛車で通勤している。

宮崎 僕はずっと2CVに乗っているけど、ウインカー(方向指示器)を出すと自分で戻さないといけないし、夏は暑すぎてうちわを持って乗るしで、自動なのは何も付いていない。あれでいいんですね。まぁ、遠出はさすがにちょっと諦めるようになりましたけど。僕は、2CVに乗ることで社会の流れに少し抗っているのではないかな。でも「このままでいい」という感覚と、未来のことを考えてやっていく人とのギャップをものすごく感じます。車は車なんだけど全然違うもんだなと、面白い。

内山田 ハイブリッドをやると決めたときは、実は、成功するとは思えなかったんですよ。技術が未熟でコストも高く、でも非常に短期間で世の中に出せと経営陣からは言われて。それでも環境やエネルギーの問題を考えると、いつかは取り組まなくてはならない。失敗して世の中に出なくても、我々が開発をワンサイクル回したことは大きな貯金になる。「捨て石」になってもいいから、早く始めようと思いました。すると、若い開発メンバーたちが「自分がやらなければ完成しない」と、とても頑張ってくれたんです。自分が若い頃よりも頑張っているな、と思うくらいに。宮崎さんのスタジオって、ご自身も含め、まさにそういう塊で、みんながやっているんじゃないかなと思うんですが、どうですか?

宮崎 以前は責任感と、あとは面白かったからやってたんですね。日曜日に勝手にスタジオに行って、エアコンもつけられないけど一人でやるというようなことを、随分やりました。でも今は夜8時になるとみんな一斉に席を立って、灯りを消して出るようになりました。

内山田 我々の世代は価値観がみんな揃っていたけど、今は価値観が多様になりましたよね。

宮崎 あの頃は、国を創っていく時代だったんですね、たぶん。

内山田 昔のようにがむしゃらに働きたい人もいるし、スマートに時間を区切って別のことをしたい人もいるけれど、それをお互いに認めなくちゃいけないと思っています。

宮崎 夜の8時に帰るのは初めての経験ですけど、悪くないなと思っています。その時間に終わると夜にゆとりがあって「これなら、僕の年齢でもやれる!」って。みんな、僕のためにそうしてくれているのかな(笑)?

  • アニメーション映画監督
    宮崎 駿

    1941年東京都生まれ。1985年にスタジオジブリ設立。『風の谷のナウシカ』『千と千尋の神隠し』などの作品を世に送り出す。

  • トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長
    内山田 竹志

    1946年愛知県生まれ。1994年チーフエンジニアとしてプリウス開発を率いる。2013年より現職。

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