スポーツは世界を一つにする

障がいの壁を超える新たな挑戦

スペシャルオリンピックス
社会とつながりを求める障がいのある人がスポーツに救われた。
スポーツを通じて、様々な人とのつながりを得て、世界を広げていった。
彼らを支援しようとした人たちもまた学び、成長した。
障がい者スポーツの先に目指すべき共生社会がみえてくる。

スペシャルオリンピックスでは、障がいのある人とない人が一緒にプレーをする「ユニファイドスポーツ®」を推奨。Bリーグの会場で開かれた「ユニファイドバスケット」の試合には、ゲストに元NBA(米プロバスケットリーグ)の名選手、ディケンベ・ムトンボさん(右端)が加わった。

 目の前には身長2m18cmの壁のような元NBA選手、ディケンズ・ムトンボさんがいた。「でかい」。息遣いも聞こえる。「すごく速い」。初めての感覚だった。
 ムトンボさんのディフェンスを突破し、シュートを入れることはできなかった。「でも幸せ。楽しかった」と門戸誠利さん(24)は笑った。
 門戸さんは知的障がいのある人とない人が一緒にプレーする「ユニファイドバスケットボール」に参加した。知的障がいのある人たちにスポーツの機会を提供しているスペシャルオリンピックス(SO)が今、力を入れているのが「ユニファイドスポーツ®」である。
 門戸さんにとってすべてが初めての出来事。2500人を超える観衆の前でのゲーム、元NBA選手との出会い、観客とのハイタッチ......。門戸さんはまた一歩、世界を広げたようだった。

一緒にプレーしてくれたお礼にとムトンボさんの肩を揉む門戸さん。持ち前の人懐っこさで世界的スターとの距離を一気に縮めた。

友だちが離れていった10歳のころ

 知的障がいのある門戸さんが人との「壁」にぶつかったのは10歳のころ。それまでは一緒に仲良く遊んでいた知的障がいのない同級生との距離を感じ始めた。同級生たちが門戸さんの前を声もかけずに素通りするようになった。彼らも障がいのある人との違いを意識し始め、距離を測りかねていた時期かもしれない。人と触れ合うことが好きで、人懐っこい笑顔で友だちと遊んでいた門戸さんは孤独感を抱えた。2か月ほど学校に行けなくなった。そのころを思い出すと今も悲しく、身体が震えてしまう。

2010年SO日本・東京夏季地区大会に参加した門戸さん。言葉の壁を乗り越えて、多くの人と積極的に交流した。

 そんな時、SOのバスケットボールに出会った。2004年の春だった。
 ルールも知らなかった。コーチに教わるままにボールを追いかけ、パスをし、シュートをした。バスケットボールを通じて、再びいろんな人と触れ合い、居場所を見つけることができた。本来の人懐っこい笑顔が門戸さんに戻っていった。
 知的障がいのある人は、一般的には言葉や概念的な知識の理解に時間を要するが、身体を動かし、その一連の流れから最適なプレーをするタイミングや方法を学んでいける。コーチなどの動きを視覚的にとらえて、その動きを習得するのが得意な人もいる。

毎日スーツを着て働きに出る父の姿に憧れていた門戸さん。「子供のころからの夢が叶って、うれしいです」。

 門戸さんは今では障がいのない人と一緒に競技するユニファイドスポーツ®に参加できるほど上達し、練習では一番声を出すリーダー格に育った。2013年のSOアジア太平洋地域の大会に出場し、初めての海外遠征も経験した。
 6年前から大手マンション会社で働いている。障がいのある同僚が暑い中、水も飲まずに働いているのを見て、毎朝自分で買ったペットボトルをそっと手渡すようになった。「大事な仲間ですから」。門戸さんにとって人を思いやることは当たり前のことなのだ。

 門戸さんと14年間、ほぼ一緒にバスケットボールを続けてきたのが松野遼さん(25)。練習の場に門戸さんがいなかったら「マー君(門戸さんの愛称)、どうしたんだろう」と気になってしょうがない。「マー君は遼の心の支えです」と母の園子さんは言う。
 松野さんは自閉症スペクトラム。特定のことにこだわりがある一方で、人とのコミュニケーションが苦手だ。伝えたいことをなかなか言葉にできない。

松野さんのお母さん、園子さんは「スペシャルオリンピックスは私の趣味になりました。楽しい!」と笑う。

 園子さんは、松野さんに社会性を持ち、成長してほしいと願った。知的障がいのない人と一緒にいろんなお稽古事を学ぶ機会を何度も探り、「頭を下げ続けてきました」と振り返る。だがSOとの出会いで、ようやく「肩の荷が下りました」と笑うゆとりが生まれた。園子さんと門戸さんの両親、誠一郎さんとひとみさんはSOのコーチの資格を取得し、アスリートと一緒になって汗を流す日々を送っている。

SOに参加し始めた10歳の松野さん。スポーツを通して生涯の友となる門戸さんと出会い、14年以上バスケを続けている。

芽生えた挑戦への行動

 SOで門戸さんらと触れ合い、松野さんにも変化が見えてきた。「マー君にパスを出したい」とチームプレーを学び、人と協力することを身に付けた。シュートを正確に打てるようになるには筋力トレーニングが必要だとわかり、自主的に筋トレを始めた。
 「マー君が世界大会に出たらうれしい。でもその次は僕が出るよ」。松野さんは園子さんにそう話すようになった。「障がいのない人の中にいると、遼はみんなに『もういいよ』と言われて、挑戦する機会を与えてもらえませんでした」(園子さん)という。そんな松野さんに挑戦する気持ちが芽生えてきた。
 SOの始まりは1962年に故ケネディ米国大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバーさんが自宅で開いたスポーツイベントだ。ユニスさんには知的障がいのある姉がいた。当時は知的障がいのある人がスポーツをする機会が少なく、もっとスポーツに親しんでもらいたいとユニスさんは願った。その後、米国ではSOの活動が花開く。それから30年ほど遅れて、1994年にSO日本が設立された。
 知的障がいのある人がスポーツを通じて、多くの人とかかわり、世界を広げていくのはどの国も同じである。SOの活動が生み出す成果は、知的障がいの有無にかかわらない。障がいのない人にもいい変化をもたらしている。

互いをたたえ合うハイタッチはSOのシンボル。小学校のころから14年間ずっと一緒にバスケットボールをしてきた門戸誠利さん(左)と松野遼さん(右)がハイタッチ。ルールも知らない二人だったが、今ではユニファイドスポーツ®で活躍する。

 ユニファイドスポーツ®に参加する荒川陽平さんは、SO活動をする前は「障がいのない人は障がいのある人に何かを与える存在で、障がいのある人から障がいのない人に与えられるものはない」と考えていた。しかし競技を通じて、アスリートには向上心が強い人が多く、コーチの指示に対し、全力で取り組んでいることが多いと気がついた。それはバスケットボールを始めたころの自分の姿と重なった。
 「上達した私が忘れていた気持ちでした。参加するたびに初心を思い出させてくれる存在だと今は感じています」。荒川さんは電車の中などで障がいのある人が困っている姿を見かければ、声をかけるようになったという。

ユニファイドバスケットボールに参加する荒川陽平さん(左)は「アスリートの喜びは、私の喜びにもつながっています」。

障がいのある人は個性ある「尊敬できる個人」

 田辺有紗さんは看護を学ぶ大学生だ。バスケットボール未経験者だが昨年からユニファイドスポーツ®で汗を流す。はじめは看護師として働き始めたとき、障がいのある人と接点を持つことが役に立つと参加した。だが、やがて支援に偏っていた考え方が変わっていった。「スポーツを通して接してみると、それぞれ個性がある尊敬できる人たちです」と話す。
 障がいのある人が一方的に「支援」されるのではない。障がいのない人も活動を通じて、障がいのある人から学ぶ機会を得て、お互いに成長していく社会一。それは目指すべき共生社会といえるだろう。

「友だちは、授業が忙しいのにボランティアもやるのは大変そうと言うけど、練習に来るのが楽しみなんです」と田辺さん。

 トヨタ自動車は2018年からSOのグローバルパートナーになった。冒頭のスポーツイベントもグローバルパートナーの契約を記念して開催された。
 SO国際本部のティモシー・シュライバー会長とトヨタ自動車の豊田章男社長のそばで、スペシャルオリンピックスグローバルアンバサダーのムトンボさんはこう訴えた。
「スポーツは世界を分断するのではなく、一つにします。今日のようなイベントは米国では何年も前から開かれています。日本は今日がスタートです。明日からではない。今日から始めることが大切なのです」。

2015年にアメリカのロサンゼルスで開かれた夏季世界大会には、164か国から8500名以上の選手団が参加した。©Special Olympics Nippon

ユニファイドスポーツ®に汗を流し、みんな笑顔でVサイン。アスリート、パートナー、コーチが一つになっている。

スペシャルオリンピックス(SO)とは

知的障がいのある人へ、年間を通してオリンピック競技種目に準じたスポーツトレーニングと競技会を提供する国際的なスポーツ組織。参加する知的障がいのある人を「アスリート」と呼び、日常的に運動に親しみながら自立と社会参加を目指す。パラリンピックの参加者は身体障がいのある人が大半だが、知的障がいのある人も陸上競技、水泳、卓球の3種目に参加できる。

スペシャルオリンピックス(SO)とトヨタ自動車

トヨタ自動車は2016年にSO日本のナショナルパートナーとなり、18年には国際本部のグローバルパートナーに。SOがグローバルで力を入れている「ユニファイドスポーツ®」の振興を支援していく。今後は、日本、米国を中心に従業員ボランティアの派遣や、SOの理解活動に取り組んでいく。2018年9月22日から3日間、SO日本夏季ナショナルゲーム・愛知が、開催される。

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