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2022年3月28日

第3回 Genki空間®研究の取り組み
~自然の空気質による”人への効果”について~

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トヨタ自動車未来創生センターと豊田中央研究所(以下、豊田中研)では、人を心身ともに良好にする空間を目指した「Genki空間®研究」に共同で取り組んでいます*1*2第2回では、Genki空間®研究のカギをにぎる「空気質」について紹介しました。第3回では自然の空気質による”人への効果”について研究しているメンバー(池内、曽我、本山)に話を伺いました。

Genki空間研究「人への効果」チームメンバー

今回のインタビュー回答者(左から)
曽我 直樹
(human MBチームリーダー)
池内 暁紀
(Genki空間®研究プロジェクトマネージャー)
本山 ユミ
(human MBチームメンバー)
豊田中研から出向中

― 「人への効果」についてどのような研究をしているのか教えてください

池内:自然の空気質に含まれる「微生物」や「化学物質」が、人に共生する微生物に与える影響を研究しています。人の身体は約40兆個の細胞で出来ていると言われていますが、腸内には100兆個、皮膚には1兆個、他にも口の中や呼吸器など外界(空気質)と接する部位には、人の細胞数を超える多くの種類の微生物が共生し、いわゆる微生物叢(マイクロバイオーム、以下MB)を形成しています(図1)。この共生関係は、人類の長い進化の過程で構築されたものであり、人と微生物は悠久の時をかけて共生進化した1つの生命体であると言えるかもしれません。

  • 人に共生する微生物(常在菌)の種類と存在量
    図1 人に共生する微生物(常在菌)の種類と存在量

近年、急激な都市化により自然との接触が減ったことで、この共生関係が崩れ、アレルギー性疾患(喘息、アトピー性皮膚炎)などの様々な病気の原因になっている可能性が示唆されています。私たちは、自然の多様性に富む空気質を身体に取り込むことが、人と微生物の共生関係の調整に重要な働きをしているのではないかと推測しており、「空気質」が皮膚に共生する微生物「皮膚MB」に与える影響について研究しています。

皮膚MB(MicroBiome)

皮膚には1cm2辺り103~105の皮膚MBが生息しており、皮膚の表面を弱酸性に保ち、病原菌の感染を防いでいると言われています。近年の研究でアトピー性皮膚炎患者の皮膚では、悪玉菌(黄色ブドウ球菌)が異常増殖するなど、皮膚MBと皮膚状態に密接な関係があることが分かってきています。

― 空気質で皮膚MBが変化するんですか?

曽我:空気中に含まれている微生物の量はとても少ないので(第2回参照)、私たちも皮膚MBがどの程度、変化するのかは分かりませんでした。そこで、粘着シールを一定の圧力で皮膚に貼り付け、シールに付着した皮膚MBのDNAを解析することで、皮膚MBの種類や量を簡便かつ高精度に解析する技術を確立しました。この技術を用いて個人の皮膚MBを比較したところ、皮膚MBの種類や量は人によって大きな個人差があることが分かりました*3*4(図2左上)。
次に、自然の空気質の中で過ごした後に皮膚MBがどの程度変化するのかを調べました。その結果、自然環境での滞在前後で、全ての被験者で皮膚MBの種類が増大し、その組成が変化することを発見しました(図2左下)。さらに、日々の皮膚MBと被験者の行動パターンを長期的にモニタリングすることで、日々の生活の中で皮膚MBがどのように変動するのかを調べました。その結果、会社で働いた日、休日で家族と過ごした日、緑豊かな自然に遊びに行った日など、滞在環境で皮膚MBが周期的に変動することが分かりました。そして、皮膚MBの変化に滞在場所の空気質が反映されていることや、自然環境の多様性豊かな空気質は、より大きな変化を促すことも分かってきました*5(図2右)。

  • 皮膚MBの見える化と空気質の影響。皮膚MBサンプリング、皮膚MBの個人差、日間変動を示す。
    図2 皮膚MBの見える化と空気質の影響

― どのような空気質が人に良い効果をもたらすのですか?

本山:皮膚MBがどのように変化すると皮膚が「Genki」になるのかについてはまだ分かっていません。そこで、私たちは、皮膚移植などに使う人工皮膚モデル上で、悪玉菌(黄色ブドウ球菌:Staphylococcus aureus)と善玉菌(表皮ブドウ球菌:Staphylococcus epidermidis)を培養することで、人工的な「皮膚」と「皮膚MB」の共生モデルを作り出すことに成功しました*6-9。この共生モデルを用いて、空気質の皮膚MBに与える影響を評価したところ、ある種の植物に由来する空気質(植物由来ケモシグナル、以下、植物CS)が皮膚MBの共生状態を善玉菌優位の状態にし、悪玉菌による皮膚への傷害や炎症を抑える効果があることがわかってきました(図3)。

  • 人工皮膚モデルを用いた皮膚MBのメカニズム研究。皮膚MBの皮膚上の局在と植物由来化学物質が皮膚共生モデルへ及ぼす影響を示す。
    図3 人工皮膚モデルを用いた皮膚MBのメカニズム研究

今後は、共生モデルで皮膚MBに良い効果があると分かった植物をGenki空間®に植栽することで、視覚的に癒されるだけでなく、人の皮膚状態をGenkiにするような空間を作りたいと思っています。

― 他にはどのような人への効果を研究しているのですか?

池内:自然の空気質が人の免疫システムに及ぼす影響についても研究しています。ただ滞在するだけで、いつの間にか風邪をひきにくくなるような「空間」が出来たら面白いですね。他にも、Genki空間®に滞在した時の人の生理活性物質や生理状態の変化を調べることで、リラックス効果、ストレス解消、疲労感低減などへの効果も科学的に明らかにしようとしています。また、私たちがGenki空間®研究を通して、植物と共生する空間を実体験する中で、人と人のコミュニケーションが活性化したり、アイデアをひらめきやすくなったりする新たな気付きも感じています。今後、これらの研究についても結果がでましたら紹介したいと思います。

  • 植物共生空間が及ぼす様々な効果(会話、創造力、疲労、免疫、MBなど)

共同研究先 京都大学医学部 中島沙恵子先生からのメッセージ

京都大学医学部皮膚科学 中島沙恵子先生

皮膚は体の内と外を隔てるバリア臓器であり、その上に存在する皮膚MBは常に空気に触れています。しかし、空気質が皮膚MBにどのような影響を与えるのかについての研究はほとんど行われていません。我々は、トヨタ自動車の皆さんと一緒に、空気質が皮膚MBにどのような影響を与えるのかについて、研究を進めています。今後、どのような空気質が皮膚MBに良い影響を与えるのか、具体的にどのような物質によりその効果がもたらされるのか、について研究を進めていきたいと考えていますので、是非ご期待ください。

Profile 京都大学大学院医学研究科・炎症性皮膚疾患創薬講座 特定准教授(皮膚科兼任)2003年大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)卒、2021年5月より現職。専門はアトピー性皮膚炎・薬疹・皮膚MB。

参考情報・文献

*1:
トヨタ自動車 未来創生センター 未来につながる研究、第1回 Genki空間®研究の取り組み(前編) ~自然を「切り取った」空間を実験室に再現~
*2:
トヨタ自動車 未来創生センター 未来につながる研究、第2回 Genki空間®研究の取り組み(後編)~新しい世界を切りひらく空気質研究~
*3:
日本ゲノム微生物学会(2021)、池内暁紀「大気と皮膚のマイクロバイオーム研究 その1 ~空気質研究の全体概要~」
*4:
日本ゲノム微生物学会(2021)、名倉理沙「大気と皮膚のマイクロバイオーム研究 その2 ~屋内・屋外空間における大気マイクロバイオームの比較~」
*5:
日本ゲノム微生物学会(2021)、曽我直樹「大気と皮膚のマイクロバイオーム研究 その4 ~大気MBが皮膚MB に及ぼす影響~」
*6:
日本ゲノム微生物学会(2021)、幸田勝典「大気と皮膚のマイクロバイオーム研究 その5 ~皮膚MBの影響評価法の構築~」
*7:
日本細胞生物学会(2020)、幸田勝典「3次元モデルを用いた微生物に対する表皮の影響解析」
*8:
Naoki Soga, “An in vitro mixed Infection model with commensal and pathogenic Staphylococci for the exploration of interspecific interactions and their Impacts on skin physiology”, 2021, Cell Bio Virtual 2021
*9:
K. Kohda, X. Li, N. Soga, R. Nagura, T. Duema, S. Nakajima, I. Nakagawa, M. Ito and A. Ikeuchi “An in vitro mixed infection model with commensal and pathogenic Staphylococci for the exploration of interspecific interactions and their impacts on skin physiology” 2021, Front. Cell. Infect. Microbiol., 11, 712360

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