1本の糸が
私を広い世界へ導いてくれた。

トヨタ助学金プログラム
中国貴州省出身の姜 麗子(ジャン・リーズ)さんは、
現在ソウルでラジオのパーソナリティーやテレビのレポーターの仕事をしている。
くったくのない笑顔を見せる彼女だが、幼少期から貧しい生活を送り、
苦労を重ねて大学進学を果たした。そこには、親戚・教師・企業からの様々なサポートがあった。

幼少期、両親の離婚で貧しい生活を余儀なくされた姜 麗子(ジャン・リーズ)さん(左から2人目)。彼女は学ぶことをあきらめず、様々な人の援助を受けて学び続けた。現在は活動の場を韓国に移し、中国語と韓国語を駆使し活躍している。彼女の故郷・貴州省にて。

幸せだった幼少期。
人生に突如として訪れた貧困。

 ソウルの録音スタジオ。スピーカーからは流暢な韓国語と中国語が聞こえてくる。声の主は中国貴州省出身の姜 麗子さん。現在、ソウルを中心に活動している。屈託ない笑顔から、彼女はなに不自由なく暮らしてきたように思える。しかし、実際の彼女の生い立ちは壮絶だ。貧困の中、苦労を重ねて学業を修めた。何が彼女をそこまで駆り立てたのだろうか。

ソウル市内の放送スタジオでナレーションの録音をするジャンさん。現在、中国語と韓国語を生かし、テレビやラジオなどの司会やレポーターの仕事をしている。

 貴州省は中国南西部に位置し、歌や踊りを愛するミャオ族が多く住む地域。ジャンさんもミャオ族だ。幼かった頃は教師の父、母、姉の4人で幸せに暮らしていた。「お金持ちではなかったけれど、家族揃って幸せだったな」とジャンさんは微笑む。当時を思い出したのか彼女の表情が突然曇り、目に涙を浮かべた。

 5歳の頃、両親が離婚。体の弱かった姉は母に引き取られ、ジャンさんは父と住むことになった。「父は再婚したのですが、まもなくして職を失いました。それからは、私ひとりで親戚の家を転々とすることになったのです。遠くの町に暮らす母に会いに行くため、髪の毛を売って、バス代に当てたこともありました」。

幼少期のジャンさん。「家族は離ればなれになったけれど、親戚が大切に育ててくれました。 寂しかったですけれどね」。

寒い冬の日の訪問だったが、親戚一同、ジャンさんの久しぶりの訪問を温かく歓迎してくれた。ジャンさんが中学生の頃、伯母は、「贅沢はさせられないけど、お腹いっぱい食べさせることならできるよ」と温かく迎えたという。

 これまでのように家族には甘えられない。毎朝、早く起きて井戸で水を汲み、家畜の豚や鶏の世話をした。そんな環境でもジャンさんは勉強をすることをあきらめなかった。教師だった父の影響もあったのだろう。彼女の成績はいつも上位だった。「学ぶことがいつかなにかに役に立つはず……」。そう信じて学び続けた。ある夜、勉強をしていると電気代を気にした親戚に叱られた。「大きくなったら稼いで必ず返すから!」。反抗したのはその時、一度きりだった。

幼少期、彼女が暮らした家。

 地方の少数民族の女性は若くして結婚し、育児に専念することが多い。しかし、彼女は学ぶにつれ、外の世界へと惹かれていった。学べば、貧困から脱出できるはず。「周りには早く結婚しろと言われたんですが、どうしても私は学び続けたかったのです」

親戚や教師のサポート。
たくさんの人々に助けられて学んだ。

 高校教師の羅(ルォ)先生は、彼女をサポートし続けたひとりで、給料4ヶ月分のお金を貸したこともあった。「ジャンには学びたい強い気持ちがありました。それに、災害の多いこの地域では困ったことがあれば助け合い、支え合うのが当たり前なのです」と話す羅先生がトヨタの助学金を受けることも勧めてくれた。2012年、この地域でも反日の暴動が起きた。「日本の企業から支援してもらうことに抵抗はなかったのですか?」という問いに、羅先生はその質問に直接は答えず、静かに続けた。 「体育館に3000名近くの生徒を集めて、『国の愛し方は色々ある。暴力に訴えるのは、最も恥ずべきことだ』と説いた」。彼は、かみしめるように、そう語った。

彼女の生涯の恩師、羅先生。

私を引く1本の「糸」。
それは広い世界へと繋がっている。

 その後、姜さんはトヨタ助学金プログラムの支援を受けることが決まり、貴州大学に入学。在学中に初めて、念願の海外へ。交換留学生に選ばれ韓国を、トヨタ助学金プログラムで日本を訪れた。さらに外の世界への興味が湧いた。「子供の頃から、私を導く1本の糸があるような気がしていた」とジャンさんは言う。彼女は糸をたぐり寄せ、チャンスを掴んだ。留学やトヨタ助学金もその1本の糸だった。広い世界に繋がる糸だ。
 姜さんが仕送りを続ける弟の文樟(ウェンジェン)さんは、北京の大学で観光を学んでいる。「教育は自分の運命を変えられる。将来は故郷に戻り、地元発展の手助けをしたい」と学ぶことの大切さを語ってくれた。彼も姉の影響で日本にも興味を持ちはじめたという。日本に留学できないか模索中だ。

故郷から遠く離れたソウルでジャンさんは、いつも故郷や家族のことを思う。「私を助けてくれたすべての人に恩返しがしたい」。

北京の大学で観光学を学ぶ弟の文樟(ウェンジェン)さん。

親戚の家でお土産を手渡す姜さん。

 彼女に同行し、親戚の家を訪れた時、彼女は鞄一杯の贈り物を配った。服、たばこ、化粧品。一つ一つは些細なもの。だが、ジャンさんの鞄には優しさが詰まっていた。「お土産やお小遣いを渡し、仕送りをする家族や親族がいることは、プレッシャーであり、原動力でもあります。私はたくさんの援助を受けた。次は私の番。お世話になった人達に恩返しをしたい。」
 現在、彼女の夢は仕事を通して日中韓をつなぐ架け橋になること。日本語の勉強もはじめようとしている。広い世界に繋がる糸は、さらに彼女を強く導く。彼女もまたその糸から手を離そうとはしていない。

中国、韓国、日本の架け橋になることが姜さんの夢。

トヨタ助学金プログラム

学資の支援だけでなく、リーダーシップ研修や日本訪問(ジャパントリップ)などの機会も提供している。返済義務はない。10年間に支援した学生は、およそ2600名。

薔薇を献じたる手に余香あり

支援を受け学ぶ。そして、次の世代へ。

トヨタ助学金プログラム Japan Trip

2016年度トヨタ助学金プログラムで日本を訪れた中国人大学生2人に話を聞いた。

  • 海省出身の韓琪児(カンキジ)さんは青海民族大学在学。小中学校の頃、家計は苦しく、学年で一人だけ教科書が買えなかったこともあった。家族が高等教育は必要ないと考えていたので、高校の担任の先生に支援してもらっていた。「助学金は私の希望になった。お金というより翼のような存在。現在は大学のサークルでボランティア活動を行っている。将来は安定した仕事に就き、両親を支え、余裕があれば私もまた貧困学生を支援したい」。将来、子供が生まれても、自分の価値観でしっかりと自分の望む道を進んでほしいと考えている。

  • 福建省出身の周承尭(シュウテイヨウ)さんは南昌大学在学。幼い頃、父親が出稼ぎ先で癌を患った。家財を処分して医療費に当てたが、看護の甲斐なく亡くなり、負債だけが残った。高校の時、インターネットで助学金の存在を知った。今は、学業と仕事とを両立させる忙しい日々だが、週末は介護施設でお年寄りの世話もしている。「薔薇を献じたる手に余香あり」という中国の諺を紹介してくれた。「名誉やお金はなくなったとしても、人に尽くしたことは心の糧としてしっかりと自分に刻まれる」という意味だ。人を支えることで、自分も支えられている、そんな周さんの生き方を凝縮した言葉だった。

日本を訪れた学生たちは、観光、座学、トヨタ工場見学などを行った。学生たちからは「視野が広がった」「いつかまた日本に来たい」という声が聞こえた。トヨタ産業技術記念館にて。

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