TQM(Total Quality Management)

詳細解説

はじめに

トヨタの品質・仕事の質の向上への取組みは、会社の成長とともに変化し、会社の発展を支えてきた。

まず、品質管理の原点は、1937年(昭和12年)の創業から1950年代までの会社の基盤づくりの時代に形成された。そして、1960年代の高度成長の時代に入ると、TQC(Total Quality Control:総合的品質管理)が導入され、方針管理やQCサークル活動などの会社発展の基盤となる仕組みが構築された。

1970年代から1980年代にかけては、 1982年のトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併などにより、TQCが販売部門や海外事業体を含めた全社的な活動に拡大された。

1990年代のバブル経済崩壊後は、本格的なグローバル化を前にして会社の体質強化の時代となり、TQCを「人と組織の活力を高める活動」として浸透させるべく、TQM(Total Quality Management)への進化が図られた。

さらに、2000年代以降は、一層のグローバル化の進展のなか、品質問題を契機として「原点に立ち返ったTQMの実践」が図られている。

1. 品質管理の原点

(1)品質管理・品質保証の歴史の起点

トヨタがQC(品質管理)を導入したのは戦後であるが、トヨタの品質管理・品質保証の歴史は、すでに戦前において、豊田佐吉の言葉や豊田喜一郎の「監査改良の精神」にその起点を見出すことができる。

佐吉は、「充分営業的試験をなし、その成績充分にあがらざる間は、決して販売すべきものにあらず(十分な商品テストを行わなければ、真価を世に問うてはいけない)」と記し、喜一郎は、1937年(昭和12年)の創業時に社長直轄の組織として監査改良部を設置した。

当時は品質管理という言葉も手法も存在しなかったが、「消費者の要望を直接把握し、これを商品に反映する」「製品の品質と業務の運営を監査し、これを改善する」という喜一郎の監査改良の精神は、トヨタが創業当時から「品質」を「製品の品質」のみならず「仕事の質」としても捉えていたことを示すものであり、後のTQCやTQMに通じるものと言える。

豊田佐吉の遺訓、豊田喜一郎の「監査改良の精神」

豊田佐吉の遺訓、豊田喜一郎の「監査改良の精神」

(2)QC(品質管理)のはじまり

戦後間もない1949年(昭和24年)以降、トヨタは、アメリカで新たに導入された品質管理の手法の研究に着手し、様々な制度や研修にこれを取り入れた。

当時、わが国のモノづくりにおける品質管理の水準はまだ低く、「Made in Japan」は「安かろう、悪かろう」の代名詞と揶揄されるような状況であった。こうした状況を克服するためには、不良品を検査で除くのではなく、一つひとつの工程で不良原因の対策を行い、不良品が出ないよう工程を維持管理していく必要があった。

エアーマイクロメーターでクランクシャフトを測定し管理図に記入

エアーマイクロメーターで
クランクシャフトを測定し管理図に記入

そこで、まず1949年末に、緊急の課題であった製造工程での不良品低減に対して、特性要因図に基づき不良の要因を検討し、その要因のばらつきを管理図で明らかにすることで対策につなげるという、QC的アプローチが導入され、翌年、機械工場で管理図法が試験的に適用された。これが、トヨタにおけるSQC(Statistical Quality Control 統計的品質管理)のはじまりである。

検査部内教育に使ったハンドブック

検査部内教育に使ったハンドブック

1951年には、品質管理の考え方の普及をするため、検査関係者を対象にQC教育が導入された。QC教育は、1953年からは全社の現場の管理・監督者中心に、その翌年からは協力工場にも広げられた。

また、1951年、「研究と創造の精神」を常に持った改善の考え方の浸透を目的に、フォード社の「サジェッションプラン」を参考として「創意工夫提案制度」が発足した。これは、豊田英二常務(当時)と斉藤尚一常務(当時)が同年渡米して米国の自動車製造工場を視察した際、従業員による改善提案制度の必要性を痛感したことによるものである。「創意工夫提案制度」は、1956年から「創意くふう提案制度」と名称を変えて、現在まで続いている。