対外活動

経済団体

社団法人 経済団体連合会(経団連)

豊田章一郎会長(当時)は、1994年(平成6年)5月、前任の平岩外四氏(東京電力会長〈当時〉)からの推挙を受け、自動車業界から初の第8代経済団体連合会(以下、経団連)会長に就任した。就任会見では、「大胆な構想、着実な実行を活動の基本姿勢とし、「変革」「創造」「信頼」を心に刻み、運営にあたりたい」と所信を述べた。4年間の任期中には経済界を巡る様々な諸課題に取り組み、日本経済の発展に尽力し、特に「税制改革」と「規制改革」で具体的成果を上げた。1998年5月、今井敬氏(新日本製鐵社長〈当時〉)に引き継ぎ、経団連名誉会長に就任した。

就任時期
氏名
就任当時の役職
1994年(平成6年)5月27日~1998年(平成10年)5月26日
8代 会長
豊田章一郎
トヨタ自動車 会長

社団法人 日本経営者団体連盟(日経連)

1999年(平成11年)5月、奥田碩社長(当時)が日本経営者団体連盟(以下、日経連)会長に就任した。奥田碩新会長は就任会見で『人間の顔をした市場経済』、『多様な選択肢を持った経済・社会』を活動理念に掲げ、3年の就任期間、日本経済の復活に向け尽力した。

2000年には、日経連と経団連の統合問題が現実的な課題として浮上した際には、今井敬経団連会長(当時)とともにリーダーシップを発揮し、検討が進められた。

2001年12月末には、統合の基本方針の決定にこぎつけ、2002年5月に、経団連と日経連が統合して、日本経済団体連合会(日本経団連)が発足した。

就任時期
氏名
就任当時の役職
1999年(平成11年) 5月~2002年(平成14年) 5月
9代 会長
奥田碩
トヨタ自動車 社長

社団法人 日本経済団体連合会(日本経団連)

2002年(平成14年)5月、日本経団連が発足すると、日経連会長であった奥田碩会長(当時)がその初代会長に就任した。

奥田碩新会長は、「多様性のダイナミズム」と「共感と信頼」を活動の理念とし、活動の第一歩として、2003年1月に、具体的な活動指針となる、いわゆる「奥田ビジョン」をまとめた。

その後、「奥田ビジョン」に沿って、歳出入一体改革、東アジア自由経済圏の確立、外国人の受入れ、住環境の整備、観光立国に向けた取組み、企業の政治寄付の指針策定などを重点課題として取り組んだ。

就任時期
氏名
就任当時の役職
2002年(平成14年)5月25日~2006年(平成18年)5月24日
初代 会長
奥田碩
トヨタ自動車 会長