日本
広告・宣伝の変遷
1996~2000年(平成8~平成12年)
21世紀を目前に控えて、地球環境に配慮した車づくり
1990年代後半になっても、バブル崩壊を端緒とした不況の出口は見えぬままだった。
低迷が続いていた国内自動車市場は、1995年(平成7年)頃からいったん拡大の兆しを見せたが、その後急速に縮小し、1999年には14年ぶりに年間販売台数400万台を下回り、循環型市場になってしまった。
オールトヨタのシェアも1996年~1998年には40%の大台を割込むなど、厳しい状態が続いた。
そんな中、1990年代半ばから続いたミニバンブームに乗り、「イプサム」(1996年)、「カローラスパシオ」(1997年)、「ガイア」(1998年)を発売、さらには、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した「プリウス」(1997年)、「アルテッツァ」(1998年)、「ヴィッツ」(1999年)を次々と投入し、1999年にはシェア40%を復活できた。
「イプサム」
広告面では、商品告知で1996年発売の「イプサム」でオリジナルキャラクター「イプー」を設定し、ファミリー層の吸引を狙った。同年発売の「タウンエース ノア」「ライトエース ノア」で全国販売店での大試乗会を開催し、合同広告によって来場客の拡大を目指した。
また、1997年には、福祉車両「トヨタウェルキャブシリーズ」のテレビ広告をスタートした。
一方、技術告知では、1996年に衝突安全ボデー「GOA」「ABS&エアバッグ標準装備完了」を告知し、オールトヨタの安全への取組みをPRした。
さらに環境意識の社会的な高まりを背景に、当社は企業広告「TOYOTA ECO-PROJECT」を展開。CO2削減やリサイクル問題など、様々な環境テーマを提示しながらトヨタの取組みを紹介する広告は画期的かつ大規模なものであったため、「プリウス」新発売のインパクトを最大限引き出すという目的を超え、社会に大きな影響を与えた。
企業広告「TOYOTA ECO-PROJECT」
こうしたなかで当社は、創立60周年に当たる1997年を機に、国内営業部門の大きな組織改革に踏み切るとともに、中期計画「VISION2000」を掲げ、1998年に国内販売5系列のチャネル特性の明確化、そしてMEGA WEB開設など(1999年)を内容とする新しいマーケティングへのトライアルを果敢に展開していった。
西暦
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和暦
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月
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沿革
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1996
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平成8
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1
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衝突安全ボデー「GOA」広告スタート
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5
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「イプサム」新発売「走れ、家族の季節」
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8
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「カリーナ」モデルチェンジ 「アイ・ラブ・ラン」
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9
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「マークⅡ」モデルチェンジ「信じられるクルマを。」
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1997
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平成9
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1
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「TOYOTA ECO-PROJECT」広告展開開始
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10
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オールトヨタ「クーポンポン」キャンペーン
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10
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「プリウス」新発売「21世紀に間にあいました。」
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10
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福祉車両「トヨタウェルキャブシリーズ」テレビ広告開始
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12
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「ハリアー」新発売「WILD but FORMAL」
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1998
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平成10
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2
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長野冬季五輪協賛
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4
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トヨタレンタカー広告開始
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9
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「デュエット」新発売 「マイ・リトル・トヨタ」
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9
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販売新チャネル「Netz」誕生告知”楽しさ””ワクワク”といった新たなイメージを訴求
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1999
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平成11
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1
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「ヴィッツ」新発売 「21世紀MyCar。」
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4
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「買いかえモード」キャンペーン展開
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8
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「ファンカーゴ」新発売 「携帯空間Fun!Car!Go!」
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8
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「プラッツ」新発売「21世紀へお先に。」
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10
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2000
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平成12
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1
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新企業ワード「Drive Your Dreams. 人、社会、地球への新しい未来へ。TOYOTA」展開
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5
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「Opa」新発売「The next」
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8
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「カローラ」モデルチェンジ「変われるって、ドキドキ。」
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8
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「セルシオ」モデルチェンジ「頂点であること。あり続けること。」
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