日本

広告・宣伝の変遷

1935~1945年(昭和10~20年)

発表会と懸賞募集が中心の戦前キャンペーン

豊田自動織機製作所(現(株)豊田自動織機)は商工省が提示した自動車製造事業法にいち早く応えて、自動車製造に進出を決めていた。

「G1型トラック」の発表会

「G1型トラック」の発表会

それは会社設立に先立つこと2年であった。

これを皮切りとして、1936年9月には、東京府商工奨励館で「国産トヨダ大衆車完成記念展覧会」を開いた。

この発表会では「AA型乗用車」を中心に、トラックを含め、各種15台を陳列し当社の技術力を示した。

くしくもこの発表会初日に、自動車製造事業法の許可会社に決定されたという知らせが舞い込むという、幸先よい幕開けであった。

この発表会に先立ち、豊田自動織機製作所自動車部は、日本全国の有力紙を通じて、トヨダマークの懸賞募集をした。募集作品は遠く大陸からもあり、当時としては珍しく3万点も集まり、今日のトヨタ・マークが誕生した。

その他、当時の世相を映したキャンペーンに「自動車部隊の歌」の募集や紀元2600年を記念しての、中型乗用車の名称、ボデーカラー、マスコットの公募(1939年)、映画「トヨタ自動車のできるまで」の上映キャラバン(1938年)などがあり、自動車の知識普及を含めて、国民のなかに根を下ろしていく努力が続いた。

西暦
和暦
沿革
1935
昭和10
11
トヨダトラック発表会。「G1型トラック」、同シャシー計5台を展示
1936
昭和11
1
機関誌「流線型」(後の「モーターエイジ』)を創刊し、印刷媒体による啓発に着手
7

一般公募によりトヨタ・マーク決定

トヨダマーク一般公募。2万7,000点応募、一等賞金100円。1937年トヨタ・マーク商標登録
9
東京府商工奨励館で「AA型セダン」、トラックをはじめ特殊車など15台を集めて大展示会を開催
1939
昭和14
1
「GB型トラック」発売にあたり自動車部隊行進曲の歌詞を公募。応募数約5,000編余り、賞金500円
11

「AE型セダン(新日本号)」

紀元2600年を記念し、「AE型セダン」の名称、マスコット、ボデーカラーを一般公募。応募数60万件に及ぶ
1940
昭和15
7
小中学生を対象に、模型自動車の工作公募。4,700件応募

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