日本

広告・宣伝の変遷

1991~1995年(平成3~平成7年)

バブル崩壊を機に消費者ニーズが変化 RV、コンパクトカー志向に対応

1991年(平成3年)以降、バブル崩壊をきっかけに、日本経済全体が混迷を極めていた。

自動車市場もバブル不況から勢いを失い、これまでのような右肩上がりの時代は完全に終わり、1993年には年間販売台数500万台を大きく下回った。

オールトヨタは1990年には、全チャネル店の努力で年間250万台を記録できたが、1993年にはシェアこそ42.3%と回復したものの、210万台を下回った。

消費者の志向は高級・大型から、コンパクト&エコノミーの時代へと移行しつつあった。

この消費者ニーズの変化をトヨタは先取りして、RV市場ではRAV4(1994年)などを、コンパクトカー市場では「カローラⅡ」「ターセル」「コルサ」(1994年)の3兄弟車や「カローラ」(1995年、8代目)を続々とモデルチェンジしていった。

「RAV4」

「RAV4」

この時代、リオ地球環境サミットが1992年に開催され、従来型の交通事故、大気汚染、省エネに加えて、バブル期に表面化したリサイクル問題、地球環境問題が大きく取上げられつつあった。当社は1993年に企業広告「話そう。」シリーズをスタートさせ、「いいクルマって何だろう。」という哲学をお客様とともに考え、未来の車社会についての真摯な企業姿勢をPRするとともに国内自動車市場のトップメーカーとしての責任や使命と向かい合ったキャンペーンを展開した。

西暦
和暦
沿革
1991
平成3
1
ドリトル先生「いいクルマってなんだろう。」キャンペーン
1
「サイノス」新発表「友達以上恋人未満。」
10

「アリスト」

「アリスト」新発売 「創世。アリスト。」
10
「クラウン」モデルチェンジ 「すべては、クラウン」
1992
平成4
2
バルセロナオリンピック応援キャンペーン
5

「カローラ セレス」

「カローラ セレス」新発売「2+α=セレス」
8
「カリーナ」モデルチェンジ「丘の上のカリーナ。」
10
「マークⅡ」モデルチェンジ「Mark the MARKⅡ」
1993
平成5
2
トヨタ生産累計8,000万台キャンペーン
6
企業広告「話そう。」キャンペーンスタート
10
「カリーナED」モデルチェンジ「TYPE:ED 走るためのスタイル。」
10
「セリカ」モデルチェンジ「セリカの男。」
10
「コロナEXiV」、「ルパンはなぜEXiVを狙ったのか?」
1994
平成6
1
「カレン」新発売「その車はカレンです。」
5
「RAV4」新発売「RAV4という名のスポーツ」
10
「セルシオ」モデルチェンジ「変化をもとめず、深化をめざす。」
1995
平成7
3
RV合同「僕らはトヨタのRV!」キャンペーン
5
「スプリンター」モデルチェンジ「走れ、シアワセ。」
5
「カローラ」モデルチェンジ「ずっといいですよ。」
8
「クラウン マジェスタ」新型発売 「この車は、まずオーナーを誇りたい。」
9
オールトヨタ「BIG CHALLENGE」キャンペーン

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