日本
広告・宣伝の変遷
1961~1965年(昭和36~40年)
高度成長下、ファミリー路線を目指して
大衆車市場の制覇を目指して、「パブリカ」は、Pマークの全国パブリカ店の社名ロゴをはじめ、看板・店舗デザインから、伝票、事務用品に至るまで統一したデザインと色でアピールするなど、当時としては画期的ともいえるスタートを切った。
また、高度成長の過程にあった当時の世情は、より豪華なクルマをも求めていた。当社は「パブリカ」を育成しつつ、高速時代の新型「コロナ」を送り出し、またレースをはじめ各種イベントを通じて、その技術を大衆に訴求し続けた。
ファミリー指向にも積極的で、その路線に沿った当社の企業広告は、1965年(昭和40年)度の電通広告賞に輝いた。
西暦 |
和暦 |
月 |
沿革 |
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1961 |
昭和36 |
1 |
「パブリカ」発売を前に同車を100台提供、大規模な森永乳業とのタイアップキャンペーンを実施 |
2 |
横浜のマリンタワーに大ネオンを設置、ハマっ子を驚かす |
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1962 |
昭和37 |
2 |
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9 |
8年ぶりのモデルチェンジに覆面の新「クラウン」を、ネオン塔上に展示したり、街を走らせてパブリシティ効果をあげる |
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1963 |
昭和38 |
5 |
第1回日本グランプリレースで「クラウン」「コロナ」「パブリカ」全車種がクラス優勝 |
9 |
米国チームによる「スタントカーショー」にすべてトヨタ車が選ばれ堅牢性を実証 |
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10 |
「クラウン」の広告に、各界の著名人の言葉をかりてのプレステージ広告を展開、風格と信頼性を高める |
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1964 |
昭和39 |
8 |
ファミリーキャンペーン「パブリカ家族ドライブ」を全国で展開。驚異的経済性を示す |
9 |
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12 |
「パブリカ」20万台達成を記念し「奥さまパブリカ奨学金」のキャンペーンを展開 |
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1965 |
昭和40 |
7 |
正月企業広告ほか、総合広告電通賞および新聞・ダイレクトメール部門賞を受賞 |
7 |
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11 |
統一イベントのはしり「コロナフェスティバル」いっせいに展開 |