日本
広告・宣伝の変遷
1986~1990年(昭和61~平成2年)
世界を意識したセルシオ開発で高級車ブランドイメージを確立
1980年代後半は、日本中が未曾有の好景気に沸き、国内自動車市場(除軽)は600万台を目前にするまで拡大。
自動車各社は時代の追い風に乗りながら次々と年間販売台数記録を更新していった。
当社は1986年(昭和61年)から5年間で「1990年には国内販売200万台を達成する」という目標を立てたが、1988年時点で早くも212万台に到達した。
この時代、トヨタブランドの先進性と信頼性を象徴する「新トヨタマーク&ロゴタイプ」を導入し、トヨタブランドのイメージをより強化した。
また、バブル景気の絶頂期の中で人気を集めた高級車市場の頂点を極めるために「セルシオ」を発表。その誕生を知らせる新聞広告では、新マークの導入告知との連動により、「トヨタの創造と挑戦のクルマ」であることを強くアピールした。
「セルシオ」
一方、幕張で初開催となった1989年の東京モーターショーでは、来るべき1990年代の自動車像とトヨタの車づくりの方向性を具体的な形で示したり、2代目「カリーナED」で「デュアルモード4WSモデル」を投入するなど、世界初の技術を積極的に導入して、上級志向のユーザーの心を捉えていった。
さらに、1990年(平成2年)には、トヨタの革新的・挑戦的車づくりを代表する「エスティマ」や「セラ」を発売したり、アムラックスのオープンによりショールームの新たな潮流を引き起こしたりするなど、消費者ニーズの変化に積極的に対応していった。
「エスティマ」
こうした中、トヨタは、当時の日本では非常にめずらしい環境をテーマにした企業広告「ドリトル先生」シリーズを1990~91年に展開し、環境に対する真摯な企業姿勢をアピールした。
企業広告「ドリトル先生」シリーズ
西暦 |
和暦 |
月 |
沿革 |
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1986 |
昭和61 |
1 |
新技術を満載して「ソアラ」モデルチェンジ |
2 |
「トヨタ3000GTスープラ」新発売キャンペーン |
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8 |
「カムリ」「ビスタ」、ハイメカエンジンを搭載して新登場 |
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10 |
トヨタ乗用車誕生50周年を記念して店頭イベント広告を展開 |
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1987 |
昭和62 |
1 |
トヨタ創立50周年を迎えて、企業広告を展開 |
5 |
新時代にふさわしくグレードアップして「カローラ」「スプリンター」新登場 |
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5 |
ハイメカエンジンシリーズ第3弾発表 |
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1988 |
昭和63 |
5 |
「カリーナ」モデルチェンジ 「生きる歓び、カリーナ」 |
8 |
「クレスタ」モデルチェンジ「私の場合、クレスタでなければならない」 |
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8 |
「チェイサー」モデルチェンジ「Who?」 |
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8 |
「マークⅡ」モデルチェンジ「名車の予感」 |
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1989 |
平成元 |
9 |
「カリーナED」モデルチェンジ 「新しいEDは凄いらしい」 |
10 |
「新トヨタマーク&ロゴタイプ」「新レクサスマーク&ロゴタイプ」導入 |
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10 |
「セルシオ」新発売「この車から、クルマが変わります」 |
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10 |
幕張メッセでの最初の東京モーターショー開催 |
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1990 |
平成2 |
3 |
「セラ」新発売「とんでるセラ」キャンペーン |
5 |
「エスティマ」新発売「Think Free」 |
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9 |
「カローラ Ⅱ」モデルチェンジ「ごめんあそばせ。」 |
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9 |
「ターセル」モデルチェンジ「ターセルゲームだ。」 |
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9 |
「コルサ」モデルチェンジ「少年コルサ」 |