日本
広告・宣伝の変遷
1946~1955年(昭和21~30年)
混乱疲弊の底から立ち上がる―マイカー前夜
1947年(昭和22年)「SB型小型トラック」「SA型小型乗用車」の発表、そしてこれを基盤として試行錯誤を繰り返しながら、1955年、純国産技術の乗用車「クラウン」の登場となる。
「SA型小型乗用車」
ここに至るまで、まずは戦前と同様に、あらゆる機会をとらえて発表の場を持ち、タイアップや懸賞などにより、当社のそして自動車そのものの存在と価値を世に問い続けた。
世相が落ち着くや、時を移さず、次々と新キャンペーン、新媒体の活用などで、クルマ社会への関心を高めることに努めた。
西暦 |
和暦 |
月 |
沿革 |
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1946 |
昭和21 |
9 |
トヨタ小型車愛称公募。審査員、西條八十、サトウハチロー、堀内敬三。1947年10月「トヨペット」と決定 |
1948 |
昭和23 |
1 |
「SA型小型乗用車」を、黒沢明脚本・木暮実千代主演の東宝映画「地獄の貴婦人」に提供。翌1949年封切り |
1949 |
昭和24 |
3 |
戦後初の大博覧会「日本貿易博覧会」(横浜市)にトヨタ特設館を設ける |
1951 |
昭和26 |
8 |
「BX型大型トラック」発表会。東京、名古屋、大阪と2日ずつ大移動展示会を開催 |
1952 |
昭和27 |
1 |
電波媒体の活用を開始。ラジオ東京提供番組「あきれた世界旅行」。CMソング「世界を走れトヨペット」放送 |
1954 |
昭和29 |
4 |
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5 |
朝日新聞社主催の小学生朝日「中日本めぐり」に「トヨペット スーパー」提供 |
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1955 |
昭和30 |
1 |
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7 |
ダイレクトメールを発行。パブリシティ活動を開始。広告活動も積極化 |
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12 |
東京数寄屋橋交差点に大時計付き大ネオン塔を完成 |