日本
広告・宣伝の変遷
1966~1970年(昭和41~45年)
急成長する大衆路線、マイカー時代本格化
1970年(昭和45年)の万博開催を前に列島改造論の起こった時代である。
クルマを自分のものにという傾向もますます高まり、それに応えて1966年に「カローラ」発売、「プラス100ccの余裕、カローラは豹」のキャッチフレーズは人々をとらえ、車の性能と相まって爆発的な人気を集め、大衆車市場を席捲した。
1970年には、3.3世帯に1台の割合で乗用車が普及し、本格的なマイカー時代となる。
自動車の需要も多様化し、当社は幅広く豊富な車種体系でこれに応えた。
宣伝面でも市場の変動やそれを見込んだマーケティング戦略に沿って、新しい試みをも行った。1968年の「白いクラウン」キャンペーンの成功はその代表例といえる。
西暦
|
和暦
|
月
|
沿革
|
---|---|---|---|
1966
|
昭和41
|
3
|
「ニューパブリカ・ワールドクイズ」キャンペーン実施
|
4
|
東京・銀座ソニービルにトヨタ・スキヤバシセンターを開設
|
||
4
|
「生産・国内登録・輸出」の業界三冠王をテーマとする企業広告キャンペーンを実施
|
||
10
|
|||
10
|
「カローラ(KE10型)」発表。「プラス100ccの余裕」キャンペーン展開(9月~)
|
||
1967
|
昭和42
|
6
|
PR映画「2000GTスピードトライアル」が毎日新聞社主催の1966年度日本産業映画コンクールで大賞を受賞
|
1968
|
昭和43
|
2
|
自家用車層をねらった「白いクラウン」キャンペーン展開
|
10
|
「マークⅡ(RT60型)」発表イベント世界1周東西早回りを実施
|
||
1969
|
昭和44
|
3
|
|
8
|
新「パブリカ(KP30型)」と「ランドクルーザー」によるアフリカ大陸縦断を達成
|
||
10
|
欠陥車問題についてトヨタの姿勢を伝える企業広告を展開
|
||
1970
|
昭和45
|
3
|
全国CO低減キャンペーン実施
|
8
|
「パブリカ」マイナーチェンジ、「ガッツパブリカ」キャンペーン
|
||
12
|