第1節 元町工場の建設とTQCの導入

第3項 大衆乗用車パブリカと新型クラウンRS40型の生産、販売

元町工場では、クラウンとコロナの組立工場(のちの第1組立工場)に、大衆乗用車パブリカを組み立てる組立ラインが1961(昭和36)年3月に完成した。同ラインは4月から稼働を開始し、パブリカUP10型が組み立てられた。そして、同年6月にパブリカは38万9,000円で発売された。

パブリカが開発された経緯については、第1部第2章の(国民車構想)で述べたとおりである。第1次(開発ナンバー1A)、第2次(同11A)、第3次(同68A)と3次にわたる6年間の開発期間を経てパブリカUP10型が誕生した。

パブリカは発売後1年足らずのうちに、月間販売台数が2,000台を突破した。パブリカ専用の第2組立工場が1962年5月に付帯設備も含めて、元町工場に全面的に完成し、本格的な量産体制が整った。同車の月間販売台数は、1963年12月には3,000台ラインを超えて、4,000台突入の勢いを見せた。しかし、パブリカは結局、専用の量産工場に応えるほどには販売が伸びなかった。本格的なモータリゼーションを引き起こすには、低価格であると同時に夢のある新しい大衆車が必要であった。

パブリカUP10型の生産が開始された翌年の1962年9月に、2代目のトヨペット・クラウンRS40型が誕生した。1959年に新設された元町工場で最初に生産された乗用車は、トヨペット・クラウンRS20型(デラックスRS21型、ディーゼルCS20型を含む)であった。その後、3R型エンジンを搭載したトヨペット・クラウン1900・RS30型(同デラックスRS31型、同カスタムRS32L型を含む)などが追加されたが、基本的にはクラウンRS型を部分改良したものであった。

新型クラウンRS40型は、RS型を7年9カ月ぶりに全面改良したものであり、小型車における最高級車としてボデースタイルを一新し、乗り心地と操縦性の向上、振動と騒音の低減をねらいとし、「より斬新で、より大きく、より高性能で、より豪華に」のキャッチフレーズにふさわしい車であった。

新型クラウンは販売台数を順調に伸ばしていったが、市場にはさらに大型乗用車を望む声があったことから、トヨタ自工は戦後初めて大型車、クラウンエイト(VG10型)を開発した。クラウンエイトは本格的な大型乗用車とし、ボデーサイズはクラウンと米国製大型車の中間に位置し、アルミ合金製V型8気筒エンジン「V型」(2,599cc、115馬力)が搭載された。ボデーはクラウンRS40型のボデーパネルを利用、拡大し、関東自動車工業で生産された。

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