第3節 国内市場の急伸長とレクサスの開発

第4項 新車開発の効率化・体制強化

「開発センター制」の導入

1988(昭和63)年にトヨタ車の国内販売は、10年来の目標であった200万台超えを達成し、1990(平成2)年には250万台にも到達した。その背景にはバブル経済による国内市場の拡大があったものの、1980年代を通じた魅力ある新モデルの積極投入が大きく寄与していた。1980年からの10年間で国内向けに発売したRV系を含む乗用車の新モデルは、派生モデルなどを含めると16車種に及んだ。

1980年代末から90年代初頭には車種の急増により、国内向けにモデルチェンジする車種だけで毎年10モデル前後に達し、製品開発の効率化や期間短縮が重要な課題となってきた。こうした状況を受けて、製品開発と技術開発の両部門は1990年4月に設置した「FP21(フューチャープログラム21)活動」のもとに、組織改革の検討を進めた。

FP21では、部門内外300人へのインタビューなどにより問題点を把握し、あるべき姿を探っていった。その結果、従来の製品開発体制では、デザイン、ボデー、パワートレイン、実験といった専門技術ごとの「機能軸」組織の力が強く、機能横断で進められる車両開発が非効率になっているとの問題点が浮き彫りになった。そこで、各機能の技術者は「商品軸」による各センターに所属し、それぞれのセンターが独自性や機動力を発揮できる開発体制に改めることとした。

1992年9月、30年余りにわたって採用していた機能軸による開発組織を廃し、商品軸による「開発センター制」を導入した。新組織は製品開発と技術開発の両部門を統合して技術部門とし、①FR乗用車、②FF乗用車、③商用車およびRVという商品別に第1から第3までの開発センターを置いた。さらに電子技術やパワートレインの要素技術を担当する第4開発センターを設置し、4開発センター体制とした。そのほか、部門全体の企画やセンター間の調整担当部署として技術統括部を設けた。なお、1993年9月には先行開発を担当する東富士研究所を第4開発センターに統合した。

また、このころから、高度化したCAD・CAMシステムを生かし、開発段階から生産技術や生産部門、部品・資材メーカーが参画するサイマルテニアス・エンジニアリング(SE)の開発手法も強化した。開発センター制の導入と相まって、スピーディな開発や品質確保、原価低減の実現につながっていった。

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