第2節 交通事故増加への対応

第1項 交通問題とトヨタ交通環境委員会の活動

1960年代に日本ではモータリゼーションが急速に進展し、自動車が日本経済の発展、国民生活の向上に大きな役割を果たすことが明らかになった。自動車保有台数は日本において1967(昭和42)年に1,000万台を超えた。このころから交通渋滞や交通事故が増え始め、1969年に交通事故件数が約72万件、1970年には交通事故死亡者数が1万6,765人と史上最高を記録し、社会問題としてクローズアップされるようになった。

1968年1月の常務会で、豊田英二社長は、「自動車への好意を獲得し、社会の発展に努力すること」を指示した。この指示を受けて、同年4月にトヨタ交通環境委員会を設置し、自動車の使われる環境について幅広く改善・提言していく取り組みを開始した。初代委員長に齋藤尚一副社長が就任し、同年4月に第1回の会合を開催し、今後の進め方を決定した。

都市交通の分野では、委員会初年度の1968年度に愛知県警へ自動感応系統式信号機を寄贈した。あわせて警視庁へ東京・銀座地区の広域交通制御システムを寄贈した。このシステムは従来、交差点ごとに制御されていた信号機を線的に、さらには面的に制御する方式として、警察庁、警視庁などにより1964年から研究されていたものである。この寄贈によって、広域交通制御システムが初めて実施に移された。交通管制方式は従来の地点制御から広域制御へと飛躍的に進展し、交通渋滞の緩和のみでなく交通事故、大気汚染対策などにも効果があることが判明した。1

また、1973年度に、東京都の交通問題とその改善の方向および各国の改善事例を収録した資料『都市と交通』を作成した。続いて、これをもとにして、映画『世界の都市交通3部作』を企画、制作した。同映画は日本での交通問題について客観的立場から提言したもので、政府、中央官庁、地方自治体、学者などから注目を集めた。2

交通安全活動の分野では、委員会初年度(1968年度)に全国の幼稚園児・保育園児350万人を対象に幼児交通安全キャンペーンを実施した。その後も毎年、交通安全キャンペーンを実施し、地域の交通事故防止に取り組んだ。その間、幼児の心理や行動特性を研究し、ちょっとしたはずみに事故に巻き込まれることを予防するため、『あんぜんえほん』を作成・配布し、幼稚園・保育園に安全教育の教材を寄贈した。これらは息の長い理解促進活動として今日まで続けられている。

さらに、安全対策をより具体的、かつ効果的に推進するためには、交通事故の実態を人、車、環境など総合的な観点から調査・分析することが必要と考え、豊田市の交通事故について実態調査を行った。1971年4月から2カ年間にわたり豊田警察署などの協力を得て、事故の実態調査と考察を行い、その結果を資料『交通安全への道』として発表した。

トヨタ交通環境委員会は、その後も幅広く研究・理解促進活動などを行った。1973年に同委員会の委員長に就任した山本重信専務取締役は、交通の問題は幅広くとらえて対処していくことが大切であると、以下のように述べている。

交通の問題は、幅広くとらえて対処していくことが大切です。安全問題、交通渋滞の問題、大気汚染問題など世界共通の都市問題になっていますが、一メーカーだけでそうした問題をすべて解決することには無理があると思います。どうしても政府あるいは地方行政が中心となってやらねばならないことで、その参考資料をわれわれが提供することになります。そして、なによりも大切なのが“豊かな交通”として考えていることを、いかにして実行に移すかということで、今後そうした方面に力を入れて活動することになるでしょう。3

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