第5節 生産体制と販売体制の強化

第1項 FF車生産設備の拡充

1976(昭和51)年6月、新開発エンジンの生産工場として下山第2工場の建設を決定し、翌1977年9月に完成した。1翌年7月には、FF車のターセル、コルサに搭載する1A-U型エンジン(1,452cc、80馬力)の生産を始めた。

1979年3月に1A-U型エンジンを新型カローラへ搭載することになり、月産能力3万台のエンジン自動化ラインは、初めて2直生産体制に入った。ターセルの対米仕様エンジンの追加もあって、10月には月産3万9,200台を記録した。続いて1980年3月には、それまで排出ガス対策部品とエンジンのコネクティングロッドなどを生産していた第1工場で、1G-EU型エンジン(1,988cc、125馬力)の生産を開始した。

1981年8月には、新しく取得した工場用地に第3工場を建設し、2A-U型(1,295cc、74馬力)、3A-U型(1,452cc、80馬力)、4A-ELU型(1,587cc、100馬力)の生産を順次開始した。下山工場の敷地周辺には、20~70m幅のグリーンベルトを設け、色とりどりのツツジなどが植えられた。

トヨタは300万台生産体制を目指して、1976年8月に新工場の建設を決定した。用地は愛知県から1973年3月に譲り受けた衣浦臨海工業地帯の埋立地33万m2である。本社(現・豊田本社)から約30㎞の距離で、衣浦埠頭の隣接地というトヨタとして初めての臨海工場であった。

この時期に新工場の建設を決定したのは、300万台体制を目指す生産設備を検討する過程で、遠からず機械工場の設備能力が不足すると予想されたことによる。また、FF化推進のためにも、エンジンやトランスアクスルなどについてもゆとりのある生産設備を整え、新製品への切り替えを円滑にすることが必要との判断があった。

1976年9月、衣浦工場建設委員会が発足し、工場建設の基本方針を以下のとおりまとめた。

  1. 1.生産台数(年間)300万台体制への布石、および既存各工場の過密緩和の一助とする。
  2. 2.生産品目は輸送効率の良いトランスアクスルを主体とし、本社工場の電力対策、堤工場のスペース過密対策をも勘案し、鍛造、アルミダイカストを含む粗形材から機械加工・組付までの一貫生産とする。
  3. 3.当面、大衆車用トランスアクスル2万台/月とし、1978年5月操業開始とする。

工場のレイアウトは次の点などに配慮して決定された。

  1. 1.工場建屋は粗形材工場、機械工場の2棟とする。
  2. 2.工場建屋および施設は極力、北側から配置し、将来の南側利用の自由度を確保する。

工場建設の段階から、手作業の工程を集約して「離れ小島」2をなくしたり、標準作業、運搬作業について工夫をこらし、また、環境整備や輸送面の検討も重ねた。1977年6月に建物の工事に入り、11月には機械の据付開始へと順調に進み、新FFトランスアクスルのラインオフ式を翌年(1978年)5月に実施し、同年8月に新工場の完成修跋式を行った。

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