第4節 世界各地で充実する海外事業

第3項 東南アジア・西アジア

東南アジア

1980年代半ば以降、トヨタは東南アジア諸国連合(ASEAN)各国でもユニット工場や車両組立工場の設置を進めるなど、積極的な新規投資へと舵を切った。各国の国内需要増とユニットを含む域内輸出の本格化を見据えた措置であり、ASEAN域内での補完体制は急速に進展した。

タイでは、1962(昭和37)年に組立会社のトヨタ・モーター・タイランド(TMT)、1978年にプレス部品会社のトヨタ・オートボデー・タイランド(TABT)を設立していた。これらに続いて、1987年にはエンジン製造の合弁会社、サイアム・トヨタ・マニュファクチャリング(STM)を設立し、1989(平成元)年から生産に着手した。STMは、小型トラック用エンジン生産の現地化を図り、他社協業も進めるプロジェクトであった。1988年にはトヨタ車体もTMTなどとの合弁で、主としてトラックの特装を行う会社を立ち上げた。

1977年に多目的車キジャンの初代モデルを投入したインドネシアでは、1986年11月に全面改良した新モデルが大好評で、キジャンはトヨタの看板車種に成長した。この成功を受けて、1989年1月に組立やエンジン製造などの4事業体を集約し、ディストリビューターのトヨタ・アストラ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシア(TAM)を存続会社として製・販を統合した。新生TAMはエンジンの一貫生産を目指し、機械加工ラインを拡充するとともに、1991年には鋳造工場を稼働させた。この間、1989年にマレーシアへのエンジン輸出を始め、鋳造工場の操業開始後は、エンジンブロックの日本向け輸出をスタートした。

フィリピンでは、経済危機の発生などにより1984年に事業撤退を余儀なくされたが、1988年8月には合弁会社のトヨタ・モーター・フィリピン(TMP)を設立し、再進出を果たした。1989年初めからはクラウン、カローラ、ライトエースのセミ・ノックダウン組立を開始した。さらに1990年8月には部品製造会社のトヨタ・オートパーツ・フィリピン(TAP)を設立し、1992年からトランスミッションの生産に着手した。

マレーシアでは、1982年設立の合弁会社であるセジャティ・モーター社に豊田通商も新たに資本参加するなど資本強化策がとられ、1987年10月にUMWトヨタ・モーター(UMWT)に社名変更した。同社の発足を機に、政府の国民車優遇策により1985年に中止していたカローラの組立生産を再開した。その結果、1987年から1989年にかけてトヨタ車の販売は2.7倍に拡大し、UMWTはセジャティ社設立以来の累積損失を解消することができた。そのほか、1990年にステアリング部品の合弁会社としてT&Kオートパーツをトヨタ、光洋精工(現・ジェイテクト)およびUMWTの共同出資で設立し、1992年7月にマニュアル式の部品から生産を始めた。同社はASEAN域内の補完体制のなかで供給拠点となり、1995年には生産した約9万基のうち9割強を輸出した。

この時期、トヨタをはじめ日系メーカーの投資が東南アジアで進展した背景には、ASEAN6カ国が1988年に覚書を交わした自動車部品相互補完に関する「BBC(Brand to Brand Complementation)スキーム」が成立したことがあった。これは、自動車メーカー各社がそれぞれのブランドのもとに、ASEAN内の現地調達率50%を達成した部品を自由に輸出入できる仕組みである。該当部品に対する各国の関税は50%減免され、貿易障壁が大幅に緩和された。

トヨタは、1989年にBBCスキームへの参加を認可され、既述のように、1990年にはフィリピンでTAP、マレーシアでT&Kオートパーツを設立した。この結果、タイはディーゼルエンジン、インドネシアはガソリンエンジン、フィリピンはトランスミッション、マレーシアはステアリング部品という補完体制を確立した。そして、1990年7月にはこれら4カ国での取引を調整・運営するための法人として、シンガポールにトヨタ・モーター・マネジメント・サービス・シンガポール(TMSS)を設立した。

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