第5節 戦時下の研究と生産

第3項 代用燃料の研究

日本では、1923(大正12)年の関東大震災以降、自動車需要が急激に増加し始め、1933(昭和8)年8月末には自動車保有台数が10万台を突破する勢いであった。これに伴ってガソリンの消費量も急増し、燃料の確保が大きな問題となった。豊田自動織機製作所が自動車の試作に取りかかった1934年当時、わが国は原油の80%を輸入に頼っており、精製した石油製品の輸入を加えると、石油製品需要の86%を輸入に依存していた。戦略物資である石油は、1931年の満州事変勃発を契機に統制が始まり、1934年7月には「石油業法」が施行されて、石油の精製・輸入業が許可制になった。

このような状況のなかで、ガソリンに替わる燃料の研究が盛んに行われ、既述の電気自動車用蓄電池やディーゼル・エンジンの研究も、その一環であった。代替燃料としては、木炭、薪、コーライト(半コークス、石炭の低温乾留生成物)、練炭、無煙炭、褐炭、アセチレンガス(カーバイド)、天然ガス、アルコール、エーテル化アルコール、人造石油などがあった。これらのうち、木炭、薪を燃料とするガス発生装置については、1934年から商工省が利用者に奨励金(限度額300円)を交付するようになった。

豊田自動織機製作所自動車部でも、陸軍三木式(陸式)薪ガス発生炉を開発した三木吉平1が、1936年から芝浦研究所で研究を行った。三木の論文「薪自動車・木炭自動車」2によると、積載重量2トン・クラスのトラックが定量積載して100km走行する際、消費する揮発油(ガソリン)は20~25L(4~5km/L)、薪は40~50㎏(2~2.5km/㎏)であり、揮発油1Lは薪2㎏に相当するとされている。揮発油1缶(18L)は1円80銭、薪1,000貫(3,750㎏)は30円が当時の相場で、毎日100マイル(160km)を走行すると、1年間で揮発油なら約1,500円、薪なら約250円がかかり、薪を使えば年間約1,250円を節約できると説明している。

三木が芝浦研究所で研究を始めた1936年ごろ、木炭車の技術は未熟で、十分な出力を得られなかったが、その後改良が進み、性能はかなり良くなった。1939年7月の広報誌『流線型』には、「木炭自動車のレベル向上に就いて」と題する記事が掲載され、鉄道省の試験で高い評価を得たことが報告されている。3トヨタ自工では、引き続き木炭ガス発生炉の研究を行い、1945年2月には「AX型木炭ガス発生炉」を試作した。4

一方、1938年7月からは代替燃料の無水アルコールがガソリンに10%混合されるようになった。これに対して、トヨタ自工は、アルコール混合ガソリンの点火時期を適切に調整する「点火調時装置」を開発し、1940年2月に特許を取得した。5

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