第4節 世界各地で充実する海外事業

第1項 台湾

1980年代、トヨタは北米以外の各地域でも海外事業を積極的に推進していった。1982(昭和57)年の工販合併による組織の一体化や意思決定の迅速化がグローバル展開を後押ししたのである。

台湾では、1979年8月に自動車工業促進発展法案が発表され、外国メーカーとの提携による自動車産業の育成方針が示された。年産20万台以上の小型乗用車工場を設立し、国産化率を70%以上として、相当量の輸出も行うという内容であった。当時、台湾では貿易収支の悪化から乗用車の輸入は禁止されており、トヨタはトラックのみを日本から輸出していた。

この産業育成策に基づき、1980年3月にトヨタは台湾当局へ外国人投資新創業申請書を提出した。初年度の生産台数は2万台(輸出比率1%)、5年目に20万台(同25%)まで増やす計画で、国産化率70%を達成するため、生産開始当初から鋳造、機械加工、プレス加工の導入を予定していた。当局が出資している中国鋼鉄公司が合弁先で、日本からは日産自動車も名乗りをあげたが、1982年12月にトヨタがパートナーの指名を獲得した。

トヨタはプロジェクトの実現に全力をあげ、1983年5月には台北に事務所を設けた。しかし、その後に台湾当局から示された国産化率や輸出比率などは合弁基本契約と一致しない点が多く、当局との話し合いを重ねなければならなかった。交渉は平行線をたどって1984年9月の交渉期限切れで物別れに終わった。

ところが、翌1985年になると台湾当局は輸出義務の軽減を骨子とする新しい自動車工業発展行政案を策定した。そこでトヨタでは、日野自動車が大型トラックの組立を行っていた国瑞汽車との合弁生産に計画を変更し、その投資申請を同年12月に提出した。トヨタの出資比率は22%で、1988年から商用車と乗用車の生産を開始するという内容であり、1986年2月に認可された。国瑞汽車では1988年に1トンクラスの多目的商用車ゼイス、1989(平成元)年にはコロナの生産を開始し、同年には協豊会の現地版として国瑞協力会が発足した。なお、合弁生産に先立ち、1986年1月からは国瑞汽車でダイナの委託生産を始めた。

また、部品産業の発展に寄与するため、1986年6月にプレス部品メーカーの豊永を合弁で設立し、新工場の建設に着手した。

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