事務の機械化

1947(昭和22)年4月から「PD作業」と呼ばれる米軍の自動車修理作業を挙母工場で実施した際、作業に関する事務はすべて米国式の処理方法で行われた。その結果、帳票の様式や文書の保管方法など、新しい事務管理の技法を習得することができ、この経験は以後の文書事務の改善に役立つとともに、事務の合理化・能率化に取り組む契機となった。

1950年代に入ると、業績の好転と事業規模の拡大を背景に、事務の機械化が着手された。そのためにまず、事務の簡素化・標準化、帳票や事務手続きの定形化、事務処理組織の明確化など、事務機械化に向けて前提条件の整備に努めた。

このような準備段階を経て、1953年12月にはパンチカード式のIBM統計会計機を導入し、材料原価計算、減価償却費計算、人事統計などの計算事務を機械化した。ついで、1955年9月にNCR会計機を導入して月賦手形処理を機械化し、これ以降、給与計算、工数計算、検査統計、外注部品納入計算などの機械化を進めた。

1959年、元町工場が操業を開始すると、事務処理量は従来の処理能力の限界に達し、本格的な電子計算機の導入が必要となった。そこで、同年2月に月賦手形処理用にバロースE101を、翌1960年1月にはIBM650型を導入し、事務処理能力の不足を補った。また、同年から生産管理業務の機械化を新たに開始した。

一方、3万点を超える補給部品については、カーデックス(カード式台帳)により人手で管理していたが、1961年8月にIBM305型を導入し、補給部品の発注・出庫・在庫管理を機械化した。さらに、経営規模の拡大に伴う事務処理量の急増により、事務処理能力の不足が顕在化したため、1963年10月に大型機のIBM7074型とIBM1401型の導入を図った。

これら電算機の導入は、トヨタ自工、トヨタ自販の両社が特定の業務に適用するために進めたものであった。したがって、最も基本的な車両に関する受注から、生産、配車に至る一連の業務については、電算機による機械化は行われていなかった。

それが実現するのは、1966年11月にカローラの生産を開始した高岡工場にIBM1440型を導入してからである。組立工場でALC(Assembly Line Control、車両組立ライン生産指示システム)が機能するとともに、受注-生産-配車を旬間計画で管理するシステムが実現した。

1964年には第3世代のIBM360シリーズが登場し、トヨタ自工とトヨタ自販では、1967年以降、在来機種をIBM360/40、同/50に切り替えていった。

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