第4節 豊田自動織機製作所の設立

第4項 精紡機の開発と自動車の研究に着手

ハイドラフト精紡機を発売

1930(昭和5)年4月に豊田喜一郎が米欧から帰国したとき、豊田自動織機製作所は業績不振に陥っていた。そこで、業績回復のために事業の多角化を目指し、1929年に試作したハイドラフト・リング精紡機1(ハイドラフト精紡機)の開発を推進した。

当時の紡績業界は、世界恐慌の影響で不況が深刻化していたにもかかわらず、1929年7月1日に施行された改正工場法による深夜業廃止への対応から、ハイドラフト精紡機、シンプレックス粗紡機2などを導入し、綿糸生産工程の短縮が取り組まれていた。このような合理化投資の積極化を背景に、ハイドラフト精紡機の需要増大が期待された。

待望の「RI型ハイドラフト精紡機」は、1930年6月ごろに完成し、発売を開始した。3機台本体はプラット社の精紡機に範をとり、ドラフトパート(繊維牽伸装置)にはリーター式4の3線ハイドラフトシステムを採用した。

ハイドラフト精紡機やシンプレックス粗紡機の採用による綿糸生産工程の短縮・合理化は、綿糸の生産量増大をもたらした。それに応じて、織布部門の能力増強が求められるようになり、自動織機の普及を一段と加速させた。その結果、豊田自動織機製作所の業績は急速に回復していった。

このページの先頭へ