第4節 世界各地で充実する海外事業

第4項 欧州

欧州では、1981(昭和56)年から欧州共同体(EC)委員会による日本製乗用車の輸入監視制度が導入された。さらに、1986年には単年度ベースの輸出台数の伸びをEC委員会と日本政府が協議する自主規制措置が始まった。

このように、完成車輸出の環境が厳しくなるなか、トヨタは西ドイツのフォルクスワーゲン(VW)社との間で、1987年6月に小型トラックのハイラックスを同社工場で委託生産およびOEM供給する合意に達した。1986年1月に豊田英二会長が西ドイツを訪問した際、VW社のカール・ハーン会長と会談したのがきっかけとなった提携であり、1989(平成元)年からハノーバー工場で生産を開始した。ディーラーはそれぞれの販売網を利用し、VW社は「Taro」の名称で市場に投入した。その後、1997年に共同生産は打ち切りとなったが、欧州の部品メーカーおよび労務の実情を理解するうえで意義があった。

輸出自主規制や1980年代半ば以降の急激な円高に対処するため、北米現地生産の本格稼働にめどがついた1989年には、イギリスでの現地生産を決定した。立地先はダービシャー州バーナストンで、1992年に生産を開始して最終的に年産20万台の一貫組立工場とする計画を発表した。豊田章一郎社長は、1989年4月にロンドンで行われた発表記者会見で「一日も早く『真のイギリス企業であり、かつヨーロッパ企業』として受け入れられるよう、最善の努力を払っていきたい」と述べた。また、同年7月にはウェールズのクルーイド州ディーサイドへのエンジン工場の進出を決め、12月にトヨタ・モーター・マニュファクチャリング・UK(TMUK)を設立して、両工場の建設に着工した。3年後の1992年9月に第1号のエンジン、12月にカリーナEの1号車がラインオフし、翌1993年6月にはチャールズ皇太子のご臨席のもと、TMUKの開所式を盛大に行った。

1994年末に目標の欧州現地調達率80%を達成したTMUKは、その後カローラを生産車種に加え、欧州各国への供給拠点となった。なお、1994年9月にはトルコの合弁会社TOYOTASA(現・TMMT)でも、カローラの生産が始まった。

TMUKの建設と並行して、現地生産や1993年の欧州連合(EU)発足を視野に入れ、欧州でのオペレーション強化にも取り組んだ。1990年10月に販売・マーケティング会社と欧州事務所を再編成し、ベルギーにトヨタ・モーター・ヨーロッパ・マーケティング&エンジニアリング(TMME、現・TME)を設立した。またこの年、新規に土地を購入し、1993年に新社屋を完成させた。

欧州の主要国では、メーカー直営のディストリビューターがほとんどであり、メーカー主導でマーケティングが行われていた。トヨタでも生産・販売の連携強化が急務となり、TMMEを設立して主要ディストリビューターへの資本参加や出資拡大に取り組んだ。資本参加では現地資本との間で交渉が難航することもあったが、ねばり強く取り組み、1990年にイギリスの2社、1993年にはフランスとイタリアのディストリビューターに出資したほか、1990年代末には主要国のほとんどでトヨタの全額出資または子会社化が実現した。また、冷戦の終結による中欧・東欧の経済発展を見据え、1990~91年に日商岩井(現・双日)や豊田通商との共同出資などにより、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアにディストリビューターを設立した。

日本車の欧州向け輸出自主規制は、1999年まで続いた。トヨタでは、TMUKを設立して乗用車の現地生産を始めたものの、日本車トップの座は日産自動車が維持した。規制措置で各社の輸出数量が固定化される一方、日産自動車も1986年にイギリスで乗用車生産を開始していた。しかし、現地生産の本格化やTMMEによる販売体制のテコ入れなどの施策が実り、1998年にはトヨタが日本車でトップのシェアを確保するに至った。

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