第3節 排出ガス規制への対応

第1項 排出ガス問題の発生

1970年代、東京など大都市を中心に大気汚染が社会問題となり、自動車の排出ガスや工場、発電所などからの汚染物質に関する規制が強化される動きが表面化してきた。

米国では、日本よりもずっと早くから大気汚染が問題となっていた。1943(昭和18)年にカリフォルニア州のロサンゼルスにおいて、スモッグが発生した。1のちに、このスモッグがHC(炭化水素)とNO2(二酸化窒素)から発生するオキシダントによるものと判明した。米国における自動車の排出ガス規制の発端は、1962年、カリフォルニア州における「クランクケース・エミッション規制」であり、同州では1965年に排気規制も始まった。

全米レベルでは1963年に「大気清浄法」が制定され、1968年には「全米排気規制」が実施されるなど、大気汚染に対する規制は次第に強化されていった。さらに、1970年12月には、「マスキー法(1970年大気清浄法)」が成立し、そのなかで自動車の排出ガスに関しては次のように規制されることになった。

  1. 1.1975年型車からHC、CO(一酸化炭素)を1970年規制の10分の1以下にする。
  2. 2.1976年型車からNOx(窒素酸化物)を1971年型車平均排出量の10分の1以下にする。

日本では1967年8月に「公害対策基本法」、翌1968年6月に「大気汚染防止法」が公布され、自動車の排出ガス中のCOを3%以下にすることが義務づけられた。

1970年にはHCの実質的規制が始まり、同年9月からブローバイガス還元装置2の取り付けが新型車に義務づけられた。同年7月、運輸技術審議会が「自動車排出ガス対策基本計画」を答申し、これに沿って1972年12月に「48年度(1973年度)排出ガス規制基準」が、続いて1973年1月には「48年度(1973年度)使用過程車に対する排出ガス規制」が発表された。

1970年5月、東京都新宿区牛込柳町交差点付近の住民の血中鉛濃度が非常に高いという検診結果が報道された。翌6月には、東京都衛生局による住民診断で鉛汚染の事実はないと否定されたが、ガソリン中に含まれる鉛が注目され、同時に自動車の排出ガスに対する関心が強まった。同年7月、東京都杉並区の高校で、女子生徒40数人が呼吸困難、めまい、吐き気をもよおして倒れるという事件が起こった。この事件については、光化学スモッグ、ゴミ焼却場の排出物質などが取りざたされる一方で、心因説も唱えられたが、こうした事件により自動車の排出ガスは社会問題となり、排出ガスに対する規制はいっそう強化されることになった。

1971年7月、環境庁が発足し、続いて同年9月には環境庁長官の諮問機関として中央公害対策審議会が発足した。

このページの先頭へ