第7節 設備近代化

第6項 品質管理への取り組み

豊田喜一郎の品質向上に関する考え方

豊田喜一郎は、1938(昭和13)年の挙母工場の完成後、品質向上の方策として、次の項目をあげている。1

  1. 1.監査改良課を復活し、喜一郎副社長自らが課長となって品質改善を担当する。
  2. 2.サービス掛から申告された欠点は、監査改良掛が一品一品について調査を行う。そして、各工場責任者が立ち合いのうえ、製造方法や検査方法を見直し、作業方式を新たに設定する。
  3. 3.監査改良課に技術指導員を設ける。指導員は作業の標準動作を設定し、それに基づいて作業員を指導する。
  4. 4.不良品処理場に不良見本を展示し、各工場責任者は担当部品の不良原因除去対策を研究するとともに、毎月不良の統計をとって対策の進行を確認する。
  5. 5.検査掛を工務部の直属とし、検査規程を定める。検査掛に必要な知識を教育し、検査工具の改良を図る。

上記の方策は、工程内での品質の造り込み、統計的手法による管理、特性値による品質確認などの点で、現在の品質管理に通じるものがある。しかし、このような喜一郎の考え方は、「ジャスト・イン・タイム」生産方式と同じく、戦時の数量優先主義のもとで実現できなくなった。

自動車工業は総合工業であるため、多種類の材料・副資材や部品を広範な仕入先から購入している。したがって、それらの品質が最終製品に及ぼす影響はきわめて大きく、自動車工場だけが品質管理に努めても、その目的を達成するのは困難であった。自動車の総合的品質を向上させるためには、広い範囲を包含した大規模な品質管理体制が必要であると考えられた。

自動車事業への進出以来、喜一郎が折に触れて指摘してきたように、自動車の品質向上の鍵を握っていたのは、中心的な材料である鋼材であった。鋼材の不良は、しばしば自動車の品質不良をもたらしたが、品質管理以前の問題として、その品質不良の原因解決さえできなかった。2

戦後、「日本の鉄鋼技術には米国より20年ないし30年遅れているものがある」3といわれたが、製鉄会社は積極的な技術導入を図り、鉄鋼材料の品質を高めることに努力を払った。「産業の米」といわれた鉄鋼材料の品質向上は、鉄鋼材料の消費部門である自動車工業の品質管理を容易にするという側面を持っていた。

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