第3節 新型車の開発・販売―フルライン体制の推進

第4項 セリカとカリーナ

モータリゼーションの進展とともに、ユーザーの年齢、収入、嗜好など、それぞれに応じた自動車が求められるようになり、バラエティに富んだ車種展開が必要となってきた。トヨタは、特に小型車の強化が必要と判断し、カリーナ(TA10型)とセリカ(TA20型)の2車種を同時に開発し、同じタイミングで販売していくこととし、1967(昭和42)年初めに開発に着手した。

カリーナは、高速走行時代に対応しうる新しいファミリーカーとして高性能なスポーティセダンを目指した。一方、セリカは米国で急速に需要を拡大していたスペシャルティカーの市場に着目し、日本版のスペシャルティカーとして企画した。洗練されたスタイルと高性能を有し、しかも比較的低価格で若者が買えることを開発の条件とした。

セリカとカリーナは、リヤアクスルなどわずかな部分を除いて、すべて新たに設計した。エンジンは、K型エンジン(1,100cc)と2R型エンジン(1,500cc)の間を埋める、1,400cc水冷4気筒エンジンとして新たに設計し(T型)、さらに、その開発途上で1,600ccエンジン(2T型)の開発を加えた。両エンジンとも、小型ながら高速性能を誇ると同時に、実用域を重視した信頼性の高いエンジンとなった。高速走行性を確保するため、低コストの5段トランスミッションを新たに開発し、広い範囲にわたって採用した。1

カリーナとセリカを量産するための決め手は、まったく異なるスタイルでありながら、エンジン、トランスミッション、シャシーなどの主要部品を共用し、同一ラインで生産することにあった。両車はまったく異なったボデースタイルであるが、アンダーボデーは共通のものとした。エンジンも共通のものを搭載し、トランスミッションも同じものを搭載した。また5段トランスミッションのコストダウンを実現するため、4段と5段のトランスミッションを構成する部品も大幅に共通化した。

さらに、エンジン、トランスミッション、フロント・サスペンションなど、多くの部品を異車種であるカローラ1400とも共用することとした。また、ドアパネル、フロントピラーなど、ボデーを構成する重要部品をコロナと共通化した。

1970年10月30日、第17回東京モーターショーにおいて、セリカ、カリーナが初めて人々の前に姿を現した。セリカは前年の第16回モーターショーで人気を集めたEX-1を思わせる斬新なスタイルを、カリーナは縦型のテールランプを特徴とするスポーティなスタイルを採用していた。セリカのスタイルは、単なるハードトップに満足しないユーザーの間で反響を呼んだ。

そして、同年12月1日から、セリカはカローラ店で、カリーナはトヨタ店で、それぞれ発売を開始した。

セリカの販売に際して、需要の多様化に対応しユーザーの個性を反映する車とするため、従来のワイドセレクションをさらに推し進めたフルチョイスシステムを採用した。フルチョイスシステムは、エンジンや内装をユーザー自身が自由に組み合わせて好みの車をつくるという、個性化時代の要請に応えたシステムであった。エンジン、外装、内装の組み合わせだけでそのバリエーションは27種類、これにトランスミッション、塗装、さらには各種オプション部品を組み合わせると、数百万種のバリエーションとなった。

フルチョイスシステムによるオーダーに対応するため、セリカにデイリー・オーダー・システムを採用した。全国の販売店は、その日の受注車両をテレックスでトヨタに連絡する。トヨタでは集計したオーダーの中から、車の優先順位、生産の平準化などを考慮し、1日分の組立順序計画を作成してボデー工場に指示する。ボデー工場では、ALC(アセンブリ・ライン・コントロール・システム)により各工程に生産指示2を行った。

デイリー・オーダー・システムにより、受注から納車までの所要期間が半減した。

それまでの旬間オーダー・システム(旬ごとに自動車の注文を行うシステム)では早くて16日かかったものが、このシステムでは早ければ8日、平均でも10日から11日で済むようになった。他社に一歩先んじたこのデイリー・オーダー・システムの採用は、販売諸活動の合理化はもとより販売競争面でも大きな力となった。3

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