第5節 戦時下の研究と生産
第4項 鍛造加工技術の研究
豊田喜一郎は、鋳造技術の進歩に伴って、鍛造品が鋳造品に切り替えられることを想定し、挙母工場の建設に際しては、鍛造設備への投資を控える方針をとった。その理由について、次のように述べている。
喜一郎がいう「原始的な方法」とは、ハンマー鍛造のことで、フリーハンマーや、鍛造型を取り付けたスタンプハンマーなどで成形する方法を指している。挙母工場に導入された鍛造機械は、このようなハンマー鍛造機ばかりでなく、型鍛造を行うフォージングマシンも含まれていた。この鍛造機は、アプセッター、据え込み鍛造機とも呼ばれる一種の横型プレス機であり、長い材料の先端を加工して後車軸などを成形する際に用いた。
しかしながら、ドイツのオイムコ社製据え込み鍛造機は、作業員の不慣れから、当初は利用されなかった。その後、3工程分の金型がそろい、3段階の成形が一度の加熱で完了できることがわかると、作業員もワン・ヒート・フォージングの効率の良さを認め、1940(昭和15)年には据え込み鍛造機を使用するようになった。2