第2節 創立50周年と円高への対応

第1項 急激な円高の進行

創立50周年を迎える

円高が猛威を振るうなか、トヨタは1987(昭和62)年11月3日に創立50周年を迎えた。本社のトヨタ会館大ホールで開かれた記念式典において、豊田章一郎社長は、次のようなあいさつを行った。

当社は創業者豊田喜一郎の「日本人の頭と腕で自動車をつくる」という理念に基づいて昭和12年に創業し、それ以来、「自動車を通じて豊かな社会をつくる」という考えのもと、一貫してお客様に愛される車づくりを目指してきました。

わが国は、戦後40年を経て世界にも類をみない急速な成長を遂げましたが、自動車産業はその牽引車としての役割を十二分に果たしてきました。なかでも当社は、乗用車専門工場の建設や販売網の整備充実など、わが国モータリゼーションの流れを常に先取りしてまいりました。

その結果、今や当社は、世界有数の自動車メーカーに成長したわけであります。

ところで昨今の急激な円高や貿易摩擦など、自動車を取り巻く環境は厳しいものがありますが、今回のこの試練も、当社の一員となった皆さんとともに全社員が一丸となって克服し、新たな飛躍につなげていけるものと確信しております。

私は、この50周年の節目にあたり、今年の会社スローガンを「総力結集ゆるがぬトヨタ 踏み出せ新たな半世紀」といたしました。これは、この機会に、トヨタ自動車のさまざまな業務をこれまでの延長線でなく、新鮮な感覚で洗い直し、思い切った改革に積極的に取り組んでいこうというものであります。

現在、アメリカのビッグスリーはいうに及ばず、中進国メーカーを加えて世界市場は熾烈な競争の渦中にありますが、当社は「グローバル10」という大目標に向け、国内外での諸施策を展開しております。また、自動車の製造、販売以外でも、産業車両、住宅といった既存事業の拡充、強化を続けております。

さらに、今後の新しい事業分野についても今からその芽を育てていく必要があると考えております。幸い自動車産業は情報通信をはじめ、エレクトロニクス、新素材など幅広い技術分野を取り込んだ総合産業であり、こうした周辺分野から新たな事業機会が生れる可能性には限りないものがあります。

私は、自動車産業は今後とも未来に向って国際的な規模で成長できる産業であると確信するものであります。

創立50周年記念事業の一環として、トヨタ記念病院とトヨタ博物館の建設が計画された。トヨタ記念病院は、設備の老朽化が目立ち始めた旧トヨタ病院に代わる地域のメディカルセンターの役割を担うもので、1987年9月に最新鋭の医療機器・施設を備えた総合病院として豊田市平和町に竣工した。また、自動車の歴史を広く紹介するトヨタ博物館は愛知県長久手町(現・長久手市)に建設され、1989(平成元)年4月に開館した。2年を要して復元した最初の市販乗用車「トヨダAA号」をはじめ、世界各地から収集した歴史的な名車を走行可能な状態に整備したうえで展示している。なお、50周年に際して、『創造限りなく』と題したトヨタ自動車50年史を編纂した。

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