第1節 豊田佐吉の発明と考え

第6項 蓄電装置の開発・発明への支援

蓄電装置の発明に研究費・懸賞金を寄付

1925(大正14)年、豊田佐吉は画期的な「蓄電装置」(蓄電池)の発明に100万円の懸賞金を贈呈するため、帝国発明協会に懸賞金贈呈の条件や方法について調査を依頼した。

そのきっかけは、1924年3月17日から9月28日までの176日間、実飛行時間351時間11分で、アメリカ陸軍航空隊のダグラス機が初めて成し遂げた世界一周である。1日本は、アリューシャン列島からインドシナ、インド方面に向かう飛行経路の途中にあった。

佐吉は、この世界一周飛行に刺激され、移動用蓄電装置の発明に懸賞金を贈呈することを思い立ったのである。したがって、研究の対象は自動車や飛行機の動力源になる蓄電装置を想定していた。しかし、このような蓄電装置の発明は大変困難であり、帝国発明協会での検討の結果、まずは研究費の補助を行い、実現可能な時期が到来したとき、改めて100万円の懸賞金を寄付することになった。

1925年10月15日に帝国発明協会との間で締結された契約の内容は、5年間で50万円を基金として寄付し、その基金の利息が年間3万円に満たない場合、不足額を佐吉が負担するというものであった。また、蓄電装置発明奨励事業の一環として、帝国発明協会内に蓄電池を研究する豊田研究室を設置し、蓄電装置開発計画の推進中心母体とした。1927(昭和2)年には第1回の中間的発明募集を実施し、続いて1931年に第2回、1935年に第3回の募集を行った。

喜一郎は、佐吉の蓄電装置に対する期待と考えを受け継ぎ、1939年に東京の芝浦に蓄電池研究所を設置するとともに、芝浦工場で蓄電池の内製を開始した。さらに、喜一郎は電気自動車の開発を指示し、1940年ごろに電装工場で内製の蓄電池と不燃性電動機(モーター)を搭載したEC型電気自動車を試作した。

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