刈谷工場ゴム課の国華工業への統合

既述のように、刈谷工場のゴム部品製造部門は、1942(昭和17)年2月に刈谷工場ゴム課に改称された。ゴム工業は早くから統制下に置かれ、戦局の悪化に伴って、ますます原料ゴムの入手が難しくなっていた。

このような状況のもとで、商工省はトヨタ自工に対して、ゴム製造部門を切り離し、他のゴム会社と統合することを勧告してきた。トヨタ自工のゴム製造部門は、設備、人員、新ゴム使用量が「企業整備令」に定める基準に達していなかったため、整理の対象となったのである。

同じころ、商事会社の高島屋飯田1から、同社が出資しているゴム会社の国華工業について、トヨタ自工に経営参加の意向打診があった。検討の結果、トヨタ自工による国華工業株式の取得と、同社への刈谷工場ゴム課の統合が決まった。国華工業との新たなゴム事業のため、遊休状態になっていた菊井織布の工場と従業員を活用することとした。

1943年5月、刈谷工場ゴム課は国華工業に統合され、製造設備は旧菊井織布工場へ移動されて国華工業名古屋工場となった。戦後、1949年6月には国華工業から分離独立し、名古屋ゴム株式会社が設立された。現在の豊田合成株式会社である。

このページの先頭へ