第8節 本格的乗用車トヨペット・クラウンの登場

第2項 大型トラック、全輪駆動車、ディーゼル・エンジンの開発

D型ディーゼル・エンジンの開発

トヨタ自工でのディーゼル・エンジンの研究は早くから取り組まれ、1939(昭和14)年ごろにはユンカース社製ディーゼル・エンジンを参考に開発が始まっていた。しかし、業界や官庁などとの関係から、戦前には商品化されるに至らなかった。

戦後、1948年春ごろにディーゼル・エンジンの研究室を蒲田工場内に設け、専門家の長野利平1岡剛2らを招聘して、改めてディーゼル・エンジンの研究開発を開始した。その結果、1950年にはY型およびZ型ディーゼル・エンジンが5台ずつ試作された(表1-36)。

表1-36 Y型・Z型ディーゼル・エンジンの仕様(1950年)

項目
Y型
Z型
型式
4サイクル、予燃焼室式、4気筒
2サイクル、予燃焼室式、2気筒
内径×行程
105×140mm
85×88mm
総排気量
4,850cc
1,000cc
圧縮比
17:1
17:1
最高出力
70HP/2,300rpm
35HP/3,000rpm
(出典)
「トヨタ自動車製造計画車両一覧表」(当社内文書)

この間、1950年4月からの労働争議により、蒲田工場は同年6月に閉鎖され、ディーゼル・エンジンの研究は挙母の本社に移管された。同年中にBM型トラック改造車を用いてY型ディーゼル・エンジンの試験を開始し、1951年3月にはBX型トラック改造車でも試験を行ったが、結局このときも商品化には至らなかった。こうして、ディーゼル・エンジンの研究は再び中断することになった。

その後、ディーゼル・エンジンの開発は、1954年10月に再開され、翌1955年8月にはD型ディーゼル・エンジンの試作機が完成した。同エンジンをBA型トラックに搭載した改造試作トラックが製作され、各種試験・改良を行ったうえで、1957年3月にDA60型トラックとして発売された。

D型ディーゼル・エンジンの製作は、トヨタグループ各社が協力し、シリンダーブロックとシリンダーヘッドの鋳造・機械加工は豊田自動織機製作所、クランクシャフトの機械加工は豊田工機、歯車類の機械加工は愛知工業、噴射ポンプとディーゼル・エンジン用電装品は日本電装、組立はトヨタ自工が分担した。同エンジンの仕様は、表1-37のとおりである。

表1-37 D型ディーゼル・エンジンの仕様(1957年)

項目
内容
型式
4サイクル、予燃焼室式、直列6気筒
内径×行程
100×125mm
総排気量
5,890cc
圧縮比
17.2:1
最高出力
110HP/2,600rpm
最大トルク
35m・kg/1,200rpm
(出典)
トヨタ技術会『トヨタ技術』1957年9月1日

ところで、ディーゼル・エンジンの性能は、心臓にも例えられる燃料噴射ポンプの性能に大きく依存している。D型ディーゼル・エンジンの場合、西ドイツのロバート・ボッシュ社から技術導入した日本電装製の燃料噴射ポンプが用いられた。

ロバート・ボッシュ社からの技術導入の話は、1951年秋に相談役となっていた豊田喜一郎のもとへ、三島徳七博士からもたらされた。三島博士は、喜一郎と東京帝大工学部の同期で、MK磁石鋼の発明で世界的に知られる金属学者である。そのMK磁石鋼の特許がロバート・ボッシュ社に供与された関係から、同社は日本企業との技術提携を三島博士に打診した。三島博士はトヨタ自工の創業期に研究顧問を務めたことがあり、喜一郎相談役を通じて日本電装へ技術提携の話が伝えられたのである。

日本電装とロバート・ボッシュ社は、1953年11月に電装品に関する技術援助契約を締結し、1955年2月には燃料噴射ポンプとスパークプラグに関する条項を契約に追加した。この契約に基づき、日本電装はロバート・ボッシュ社の設計・製作指導のもと、1956年3月に噴射ポンプの試作第1号を完成させた。

D型ディーゼル・エンジンの開発当初は、ロバート・ボッシュ社製の噴射ポンプや噴射ノズルを用いて試験を行ったが、日本電装の製作技術が進展するに伴い、逐次同社製の部品に切り替えられていった。その後、1957年3月14日にD型ディーゼル・エンジンを搭載した5トン積みDA60型トラックが発売されるころには、日本電装製噴射ポンプの性能は完全にロバート・ボッシュ社製と同一水準に達していた。

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