第9節 量産量販に向けての準備

第3項 中南米諸国への進出

ブラジルでの生産増強

1970(昭和45)年以降、ブラジルの自動車市場は急成長を続けた。販売総台数は、1971年に50万台を超え、1978年には100万台を突破した。それに対して、ブラジルトヨタの生産実績は、年間1,000台に満たない水準へと低下していた。

1971年、トヨタ自工の大野耐一専務は、トヨタ生産方式の指導のため、業績が低迷するブラジルトヨタを訪れた。同社の実情に触れた大野専務の助言がきっかけとなり、内製化率の向上や乗用車生産の検討を目的とするトヨタ自工の調査チームが、1972年11月にブラジルトヨタへ派遣された。同チームは、既存工場の拡充、新工場用地の取得などを検討し、ブラジルトヨタの生産能力増強計画をまとめた。

この計画に基づき、1974年5月に低周波誘導炉を備えた鋳造工場、同年10月にプレス工場の増設、翌1975年4月には1,600トン鍛造プレス機を備えた鍛造工場が完成した。同時に、機械工場の拡充を図り、それまで外注であった駆動系の歯車やシャフトなど、部品の内製化を進めた。これらの投資は、トヨタ自工の支援のもとに行われた。また、1973年1月にはブラジル・ベンツ製ディーゼル・エンジンがOM-324型から、OM-314型(3.8L、直噴式)に変更され、出力が増大するなど、商品力の強化が実現した。

生産能力増強計画の推進により、ブラジルトヨタの業績は1975年から上昇に転じた。生産台数の推移を見ると、早くも1976年に1,000台を超え、1979年には4,000台を突破する実績をあげた。収支についても、1980年には累積損失を一掃するまでに好転した。

1981年以降、ブラジルの自動車販売数は50万~70万台に落ち込んだが、ブラジルトヨタでは、1984年に老朽化した機械加工設備、プレス設備の更新を行い、1986~88年には塗装、熱処理、機械加工の各工程を拡充するなど、投資を積極化させた。この間、1987年9月には生産累計5万台を達成し、さらにバンデランテ製造ラインの2直化を目指して設備の増強を進めた。

一方、1989(平成元)年11月にバンデランテのヘッドランプを丸型から角型にするなど、一部改良を実施したのに続き、1990年3月にはトルクを強化したOM-364型(4.0L、直噴式)にエンジンを変更するなど、商品力の強化を図った。また、同年8月にはサンベルナルド工場が2直体制に移行し、1991年のバンデランテ生産台数は過去最高の6,754台を記録した。

さらに、1991年には将来の拡張に備え、サンパウロ市から北西へ100kmほど離れた、サンパウロ州インダイアツーバ市に155万m2の工場用地を取得した。このインダイアツーバ工場は、1998年8月に稼働を開始し、カローラの生産にあたった。

その後、バンデランテは、1996年の排出ガス規制に対応することを目的に、1994年4月にブラジル・ベンツ製のディーゼル・エンジンOM-364型から、ダイハツ工業製のディーゼル・エンジン14B型(3.7L、直噴式)に切り替えた。しかし、これによっても、2000年の排ガス規制には対応できなかった。このため、バンデランテは、2001年11月に生産が打ち切られ、42年間にわたる歴史に幕を閉じた。なお、1999年11月に生産累計10万台を達成した。

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